『過剰可視化社会――「見えすぎる」時代をどう生きるか』書影
著者近影(写真:稲垣徳文)
株式会社PHP研究所(京都市南区・代表取締役社長 瀬津要)は、2022 年5月17日に『過剰可視化社会――「見えすぎる」時代をどう生きるか』(與那覇潤 著/税込 1,056 円)を発売しました。コロナ禍で顕在化したものの一つが、同調圧力です。戦時体制が再来したかのような自粛への同調圧力に対して、異論を唱える歴史学者はいませんでした。そのことに反発した與那覇潤氏は、歴史学者であることを放棄し、日本のコロナ禍を深刻化させている「過剰可視化社会」について、自らが警鐘を鳴らすことにしました。本書は、評論家としての第一作です。
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『過剰可視化社会――「見えすぎる」時代をどう生きるか』書影
「見える」ものに踊らされ、「見えない」ものへの想像力が欠けている
タイトルでもある「過剰可視化社会」とは、「誰の目にもわかる」極端な行動や政策ばかりが躍る社会を意味します。SNSで、思想や病気・障害などの個人情報をカミングアウトしてまで、自分にタグ付けやカテゴリ分けをする理由。感染者数の報道や人流を抑え込む政策から、マスク警察の出現まで、コロナ禍で加速した「自粛最優先」の風潮。そんなコロナ禍の日本について、著者は「先進国で最低レベルの死亡率と最高レベルの社会崩壊」とバッサリ。「日本のコロナ禍をかくも深刻化させた最大の背景は、2010年代以降に本格化してきた“過剰可視化社会”にある」と断言しています。本書の前半では、この「過剰可視化社会」の形成過程と問題点を検討し、対策を提示します。
あまりにもプライベートが可視化された状態に慣れすぎた結果、私たちは「見せる」ことに伴う副作用の存在を忘れ、逆に「見えない」ものが持っている価値を感じ取れなくなってはいないでしょうか。コロナ禍では目に映る「街路に人影がない」「全員がマスクをしている」といった光景からしか安心感を得られず、なんらかの事情で自粛やマスクの着用が難しい人もいるかもしれないといった、他者への想像力が消えていた。(本文より)
ファクト至上主義に意義あり――3名の有識者と対話
本書後半では、「自粛最優先」の風潮に異議申し立てをしてきた3名の有識者と対話。ファクトやデータを「可視化」さえすれば自ずと世の中がよくなるといった未熟な発想を批判します。
●東畑開人氏……心の病名がプロフィールに記されるカジュアルなものになっても、消えない切実な悩みをどうケアしてゆくのか
●千葉雅也氏……「見える」指標が注目を集める一方、ネットで飛び交う正誤不確かな情報や、人間の品性が劣化していく現象を議論
●磯野真穂氏……視覚的な心地よさばかりが重視される世相の由来と、克服への道のり
『過剰可視化社会』について
【目次】
第1章 社会編――日本を壊した2010年代の「視覚偏重」
第2章 個人編――「視覚依存症」からはこうしてリハビリしよう
第3章 「見える化」された心と消えない孤独――心理学との対話 東畑開人×与那覇潤
第4章 「新たなるノーマル主義」を超克せよ――哲学/文学との対話 千葉雅也×与那覇潤
第5章 健康な「不可視の信頼」を取り戻すために――人類学との対話 磯野真穂×与那覇潤
【著者】
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著者近影(写真:稲垣徳文)
與那覇潤(よなは・じゅん)
評論家。1979年、神奈川県生まれ。2007年、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。日本近現代史を専攻する歴史学者として著書多数。同年から15年まで地方公立大学准教授として教鞭をとった後、うつによる休職を経て17年離職、現在は在野で活動。新型コロナウイルス禍での学会の不見識に失望し、21年の『平成史――昨日の世界のすべて』(文藝春秋)を最後に歴史学者の呼称を放棄している。20年、『心を病んだらいけないの?―うつ病社会の処方箋』(斎藤環氏との共著、新潮選書)で小林秀雄賞。話題書に『中国化する日本―日中「文明の衝突」一千年史』『知性は死なない―平成の鬱をこえて』(以上、文春文庫)、『歴史なき時代に―私たちが失ったもの 取り戻すもの』(朝日新書)など。
書誌情報
タイトル:過剰可視化社会
サブタイトル:「見えすぎる」時代をどう生きるか
著:與那覇潤
判型:新書判
定価:1,056円(税込)
発売日:2022年5月17日
ISBN:978-4-569-85195-2
発売元:株式会社PHP研究所