
画家の丸木位里(いり)(1901~95年)、俊(とし)(1912~2000年)夫妻が原爆の惨禍を描いた連作「原爆の図」全15部のうち5作品が立命館大国際平和ミュージアム(京都市北区)で特別展示されている。実物が京都で公開されるのは1984年の京都市美術館での全国巡回展以来42年ぶりという。
夫妻が開設し作品を所蔵する「原爆の図丸木美術館」(埼玉県東松山市)が全館改修で休館中のため実現。同館で2025年に新たに確認されたものを含め61点の資料も展示し、「未来の平和について共に考える場にしたい」と来場を呼びかけている。
5作品は第1部「幽霊」、第8部「救出」、第9部「焼津」、第10部「署名」、第14部「からす」。
現地での見聞を基に描かれ
広島は位里さんの故郷で両親や親戚が暮らしていた。夫妻は埼玉県に疎開していたが、位里さんは原爆投下の3日後、俊さんは1週間後に広島に駆けつけ、惨状を目の当たりにしたという。
現地での見聞を基に描かれた「原爆の図」は、油彩画家の俊さんが人物を描写し、その上から水墨画家の位里さんが墨を流して迫力と奥行きをもたらしている。縦1・8メートル、横7・2メートルのびょうぶ絵で、被爆者の群像が写実的に等身大で描かれ、夫妻による説明やメッセージの文章が添えられている。
最初の「幽霊」は連合国軍総司令部(GHQ)によるプレスコードで原爆報道が禁じられていた1950年2月に発表。同年夏に第2部「火」と第3部「水」と合わせて3部作が完成し、巡回展が始まった。51年7月に京都大の学生たちが現在のJR京都駅前にあった百貨店で「綜合(そうごう)原爆展」を主催し、第4部「虹」と第5部「少年少女」を加えた5部作が初公開された。
夫妻は展覧会場などで作品を見た人たちと対話し、さまざまな人の思いも受けて続編を制作。そうした「協働性」を夫妻は重視し、「大衆が描かせた絵画」と呼んだという。最後の第15部「ながさき」は82年に発表した。
今回展示されている「救出」には作業に参加した夫妻自身の姿もあり、「焼津」は南太平洋・ビキニ環礁での米国の水爆実験で被ばくしたマグロ漁船「第五福竜丸」の母港の漁民たち、「署名」は東京都杉並区から始まった原水爆禁止の署名運動を描いている。「からす」は朝鮮人被爆者の遺体が放置されてカラスが群がる光景で、日本人の差別意識が描かれた。
25年に確認された資料は夫妻のアトリエ兼書斎だったスペースから見つかった。1950年代の夫妻宛の書簡や各地の巡回展のチラシ、感想文などで、当時の関係者の思いが伝わる。今回の展示でも、俊さんが被爆者から話を聞き、作品の構図を考えた経過が分かる創作ノートや、「にんげんをかえせ」で知られる原爆詩人の峠三吉らが書いた原稿用紙といった新発見資料が並ぶ。53年制作の映像作品(17分17秒)も上映され、当時の人々の感想などに触れることができる。
学芸員の比留間美子さんは「当時は戦争を繰り返させない、原爆を落とさせないために展覧会が開かれていたことが分かるが、今を生きている私たちの価値観で見て、どんなメッセージを受け取るのか。足を止めて考えていただきたい。その輪を広げるきっかけにもなれば」と話す。
11月30日まで。午前9時半~午後4時半(入場は午後4時まで)。日曜、祝日の翌日は休館。大人400円、中高生300円、小学生200円。同ミュージアム(075・465・8151)。【太田裕之】
