
第27回参院選は20日投開票され、埼玉選挙区(改選数4)の当選者が決まった。与党は、自民党現職の古川俊治氏が組織力を生かして4選を決めたものの、公明党現職の矢倉克夫氏=自民推薦=は落選。支持母体の創価学会がフル回転したが及ばず、目標の「自公で2議席」を維持できなかった。野党は、党勢拡大の流れに乗った国民民主党新人の江原久美子氏、参政党新人の大津力氏が、それぞれ初の議席を獲得した。立憲民主党現職の熊谷裕人氏は、政権との対決姿勢を鮮明にして着実に支持を広げ再選を決めた。共産党現職の伊藤岳氏は伸び悩んだ。【参院選取材班】
古川氏、手堅く4選
2007年に2位で初当選し、その後はトップ当選を続けてきた古川氏は、今回も安定した戦いぶりで早々に当選を確実にした。
さいたま市浦和区の事務所では当選確実の一報が入ると、支援者から大きな拍手が上がった。一方、自民は全国で苦戦が伝えられており、古川氏は「大変厳しい選挙だった。結果を謙虚に受け止め、日本のために全力を尽くしたい」と硬い表情で語った。
医師でもある古川氏は「地域医療の提供を守り続ける」などと自身の政策を訴えながら、県内選出の衆院議員らの支援を受ける組織戦を展開、自民支持層を手堅くまとめた。自治体の首長も応援に駆けつけ、県内全域で幅広く浸透して終始選挙戦を優位に進めた。
矢倉氏、届かず
さいたま市浦和区の矢倉氏の事務所では、集まった支持者らが心配そうにテレビの開票速報を見守った。落選確実が報じられると、矢倉氏は沈痛な面持ちで頭を下げた。
今回も自公は選挙協力をして参院選に臨んだが、前回衆院選で「与党統一候補」だった石井啓一前代表が落選し、両党の間には隙間(すきま)風が吹いていた。矢倉氏は自民への支援要請が遅れ、自民支持層への浸透が思うように進まなかった。
選挙中、矢倉氏の劣勢が伝わると、ようやく自公の議員らが一緒に支持者を回るなど連携が活発に。支持母体の創価学会も埼玉を「超重点区」として組織の引き締めを図ったが、先行する参政や国民の候補との差を埋められなかった。
党勢生かし江原氏初
午後8時過ぎに当選確実が伝えられると、さいたま市中央区の江原氏の事務所は拍手と歓喜に包まれた。江原氏は「本当にたくさんの応援をしていただいた。埼玉から日本を元気にしていきたい」と抱負を述べた。
候補者の中では唯一の県北出身。深谷市議、県議を経て、前知事の上田清司参院議員に推されて立候補し、選挙期間中も上田氏の全面的な支援を受けた。
公示直前に右足を負傷し、車椅子や松葉づえで各地を遊説。党の公約である「手取りを増やす夏を実現する」と気勢を上げ、一人暮らしの人が安心して暮らせる社会の実現などを訴えた。玉木雄一郎代表ら党幹部が再三応援に入って課題とされた知名度不足を払拭し、得票を伸ばした。
大津氏に風、初当選
今回の選挙戦で台風の目となった参政の勢いそのままに、大津氏が初当選を確実にした。飯能市の事務所で大津氏は「(党のスローガンの)日本人ファーストが刺さったのではないか。国民、住民の期待は大きく、しっかりやりたい」と述べた。
飯能市議を3期務め、2024年には参政公認で衆院選に出馬。地元で積み重ねた政治経験を土台に、今回の参院選では外国人の受け入れ規制や消費減税などを主張して支持を広げた。
神谷宗幣代表が繰り返し県内入りして投票を呼びかけ、比較的若い世代に浸透したほか、既存政党に不満を持つ無党派層や自民支持層の一部にも食い込んだ。参政が埼玉の選挙区で国政の議席を獲得するのは初めて。
熊谷氏が再選
さいたま市大宮区の熊谷氏の事務所は、当選確実の知らせが伝えられると拍手に包まれた。熊谷氏は「厳しい選挙だったが皆さんの力で押し上げていただいた。子どもたちの未来、日本の未来のために働いていきたい」と力を込めた。
地元の大宮区は、立憲民主党の創設者で元代表の枝野幸男氏のお膝元。熊谷氏はさいたま市議3期を経て、6年前の参院選では枝野氏の支援を受けて初当選した。
再選を目指した選挙戦。陣営には国民や参政の勢いに対する懸念もあったが、県内をくまなく回り、市議時代から取り組む児童虐待防止など、子どもに関する政策を訴えて浸透を図った。野田佳彦代表ら党幹部も応援に入り支持を広げた。