中国広東省珠海市で車の暴走により35人が死亡した事件を受け、習近平国家主席は治安対策を徹底するように自ら「重要指示」を出す異例の対応に乗り出した。これまで共産党は急速な経済発展と社会の長期的安定を実現する「二つの奇跡」を一党支配体制を正当化する根拠としてきた。それが揺らぎかねない事態に危機感を募らせているとみられる。
習氏は事件翌日の12日に公表した「重要指示」で、「各地方と関係部門は教訓をくみ取り、社会矛盾を解消し、過激な事件の発生を防ぎ、国民の生命・安全と社会の安定を全力で保障しなければならない」と隙(げき)を飛ばした。現場がある広東省トップの黄坤明・省党委書記はただちに「治安上の潜在的な危険を取り除く」ために家庭内や近隣のトラブル、各種訴訟を調査し、困窮する人々への支援を強化する方針を打ち出した。
事件は11日夜、珠海市の体育施設で発生した。暴走した車が次々と人をはねて35人が死亡、43人が負傷。運転手の男性(62)はその場で自殺を図り病院に搬送された。地元当局は動機について「離婚後の財産分与への不満」と説明した。
中国政府が事態を重く見ているのは、この事件のように公共の場で無差別に人々を襲撃する事件が相次いでいるためとみられる。
上海市のスーパーで9月、刃物による殺傷事件が起きて3人が死亡。10月には、北京市や広東省広州市の小学校近くで切りつけ事件が起きた。
日本人が巻き込まれる事件も起きており、6月に江蘇省蘇州市で日本人母子らが切りつけられ、9月にも広東省深圳市で日本人学校に通学途中の日本人男児が刺されて亡くなった。
こうした事件が起きるたび、国内のネット交流サービス(SNS)では、先行きが見えず、格差が深まる社会への鬱憤を晴らす一種の「報復」行為ではないかとの見方が広がっている。長引く経済の停滞で、多くの人々が就職難や給与カット、リストラなどの不安にさらされ、「より良い明日」への期待を持ちにくくなっている世相を反映していると言えそうだ。
一方で、習指導部にとっては、景気や治安の悪化によって政治への信頼が損なわれることは、最も警戒すべき事態である。
「わが党はたゆみなく奮闘し、経済の急速な発展と社会の長期的安定という『二つの奇跡』を作り出した」。習氏は9月末、建国75年を祝う演説でそう強調していた。しかし、その「奇跡」にほころびが生じれば、一党支配体制の求心力が急速に低下しかねない。
異例の「重要指示」を出した習氏は、社会統制をさらに徹底することで治安維持を図ろうとしている。だが、それで突発的な凶行を防げるかは未知数だ。強権的な統治手法そのものが社会・経済の閉塞(へいそく)感を招いている側面もあり、習指導部は難しいかじ取りを迫られている。【北京・河津啓介】