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朝ドラ「鳩子の海」から50年 出生の秘密ひも解いた「結城紬」


 NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)の「虎に翼」が話題だが、ちょうど50年前に茨城を重要な舞台として平均視聴率47%と大変な人気を集めた朝ドラがあった。1974(昭和49)年春から1年間放映された「鳩子の海」だ。主人公で戦災孤児の鳩子は成長して結城紬(つむぎ)の産地問屋で働き、幼少期から持つ防空頭巾とモンペが結城紬だったことから出生の秘密が解き明かされていく。結城紬の名を全国に知らしめ、産地問屋のモデルとなった結城市の「奥順」には今も当時の資料などが飾られている。【松下英志】

 広島の原爆のショックで記憶を失った少女(子役・斉藤こず恵)は脱走兵の天兵(夏八木勲)に助けられ、山口・上関の旅館に流れ着き、時子(小林千登勢)の養女として育つ。「迷い込んだ鳩のよう」という時子の言葉から鳩子と名付けられたが、鳩の持つ「平和」や「希望」の意味も込められた。

 高校を出て上京した鳩子(藤田美保子=現三保子)は天兵と再会、「あの時の防空頭巾とモンペは結城紬。茨城の航空隊でよく見た」と告げられる。時は安保騒動の渦中。国会前のデモで大けがをした幼なじみの京大生の入院先で、鳩子は京大生の先輩で東海村の原子力研究所の研究員と親しくなる。

 ここから舞台は茨城に転じ、鳩子は研究員の招きで時子らと水戸の偕楽園や大洗海岸を訪れ、東海村で研究員と新婚生活を始める。だがすれ違いが続き、離婚を決意した鳩子は導かれるように結城へ。子供を一人で産み育てながら産地問屋「高正」で働き、機織り修業を重ね、東京支店を任されるまでに。やがて鳩子の防空頭巾の作り手が判明、その買い手から鳩子の出生の秘密が……とストーリーは展開する。

 戦争、原爆、戦災孤児、安保騒動、原子力の平和利用、さらに石油ショックなども絡め、出生の秘密に迫る後半に視聴率は50%を超え、最高で53%に。一方、主人公の離婚は朝ドラでは初で、当時大きな反響を呼んだ。

 茨城が舞台となったのは、放映の74年に国体が開かれ、そのPRの意図もあったとされる。「奥順」の奥澤武治会長(78)によると、製作者側が茨城の古い織物を探して結城紬にたどり着き、当時社長だった父親に協力要請があったという。その際、防空頭巾の作製を求められ、一反織って二つ作り、一つを撮影に供し、もう一つは奥順が運営する「つむぎの館」の資料館「手織里」に今も展示されている。

 出演者やスタッフは結城を訪れたものの長期ロケはできなかったため、奥順の「離れ」(現国登録有形文化財)をほぼそのまま東京都内にセットで再現し「高正」として撮影が行われた。

 奥澤会長は「脚本の林秀彦さんが父の話を聞きに何度も来ました。高正の大旦那が『紬の心』を語る場面がありますが、あれは父が話した内容。50年を機に改めて結城紬の素晴らしさを知ってほしい」と話す。結城紬はその後ユネスコ無形文化遺産に登録された。

 この作品で本格的にデビューした鳩子役の藤田三保子さん(71)は「その後の人生を決めた作品。『良いものを作ろう、新人を育てよう』という熱気がすごかった」と振り返る。藤田さんは2022年に結城紬大使となり、23年4月には結城蔵美館で画家として展覧会を開いている。(藤田さんのインタビュー記事を後日掲載します)

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