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開成に入った2年後、息子は死んだ 「なぜ」問い続ける母


 2006年4月2日。全国屈指の進学校、私立開成中学3年の男子生徒(当時14歳)が東京都北区の自宅マンションから転落し、亡くなった。即死だった。なぜ――。警視庁の捜査でも解明できなかった。「原因が今も分からないのは本当につらい。心はずっと、中ぶらりんのままです」と母は言う。転落死から18年。母が初めて取材に応じた。

 死亡したのは一柳亮さん。母富美子さんと2人暮らしをしていた。

 母から見ても、早熟な子だった。小学生でカフカやカミュ、松本清張などの小説を乱読する一方、運動会では応援団長、学芸会では主役を務めた。親しい友人も多かった。

 富美子さんはロシア音楽の研究者として大学に勤務しながら、亮さんを育てた。「息子は本の虫でしたが、目立ちたがり屋でもありました。高学年になると、私の仕事の相談も聞いてくれた。大人びたところがあったと思います」

 中学受験に向けて小学4年から塾に通い始めた。トップクラスの成績を維持し、04年2月に第1志望だった開成中学に合格した。

 入学直後の作文には将来の夢に「理科系の研究者」を挙げ、「役者にも興味がある」とも書いた。管弦楽部やバスケットボール部、ラグビー部に入り、充実した毎日を送った。

 中3になったばかりの06年4月2日。亮さんは午後1時50分ごろに自宅を出て、小学校時代の同級生と荒川の土手で花見をした。夕方、みんなで地元の駅近くのファミレスに移動。亮さんは数人と別の公園に寄ったあと、帰宅の途に就いた。

 午後8時29分、自宅マンションのエレベーターに亮さんが1人で乗る姿が防犯カメラに映っていた。ただ、自宅のある6階のボタンを押さず、最上階の14階のボタンを押し、その階で降りた。そして午後8時43分、亮さんの刻んできた時間はそこで止まった。

 「飛び降りがありました」。午後9時過ぎ、6階の部屋の呼び鈴が鳴った。富美子さんはその時、自宅でテレビを見ていた。「少年が落ちました。命は助からない状況です」。署員に促されるまま、富美子さんは6階の非常階段の踊り場から、あおむけで倒れている息子の姿を見た。そこからの記憶はほとんどない。

 警視庁赤羽署が死因を捜査した。当初は「自殺」としたが、その後に根拠が薄いとして、「転落死」に表現を変えた。転落理由は分からないまま、捜査は終了した。

 亮さんが亡くなってから富美子さんの生活は一変した。母一人子一人のなか、息子の存在は心の支えだった。一人残されたと感じた。

 何より苦しかったのは、転落した原因が分からないことだ。息子の性格から自殺はあり得ないと思った。ただ、そうでないとすれば何が原因だったのか。何度考えても分からず、堂々巡りが続いた。「亮がどんな思いで亡くなったのかを知りたい。その気持ちが分からなければ、きちんと供養もできないのです」

 亮さんが亡くなり、子育て中にセーブしていた仕事に本格的に取り組むようになった。研究成果も出たが、我が子を思い出さない日はないと富美子さんは言う。

 「息子が生まれた時、私はこの子の親になるために生まれてきたんだと思うくらい、とてもうれしかった。亮がいなくなってからは、以前にも増して仕事に取り組むようになった。でも、今もふとしたときに思うんです。私は何のために生きているんだろうって」

 富美子さんが常に財布に入れて持ち歩いている写真がある。中学生になると亮さんは母がカメラを向けても素直に応じなくなっていたが、亡くなる5カ月ほど前、珍しくこちらを向いてくれた。写真の中の亮さんは今も、はにかむような笑顔を見せている。【川上晃弘】

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