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居酒屋店主になった"江川キラー" 「おちょうしもん」で夢実現


 プロ野球・中日ドラゴンズ往年のファンなら誰もが知っている「江川キラー」と呼ばれた豊田誠佑さん(67)。現役時代、いぶし銀の活躍を見せた男は今、居酒屋の店主として客の心をつかむ。

 1月末の夜。名古屋市中川区の名古屋鉄道山王駅近くにある、その居酒屋はこの日もにぎわっていた。店内には豊田さんが現役時代、巨人のエースだった江川卓さん(68)からヒットを打った時の写真が飾ってある。「ビールお待たせ!」。豊田さんの威勢のいい掛け声が店内に響く。

 東京・練馬区出身。兄の影響で小学2年から野球を始めた。強豪の日大三高(東京)に進み、3年時の1974年には右翼手として春のセンバツに出場した。

 明治大硬式野球部では1年秋からベンチ入り。レギュラーに定着した3年の春季リーグでは首位打者を獲得。当時法政大のエースだった江川さんから8打数7安打と打ちまくり、「江川キラー」として名をはせた。

 78年にドラフト外で中日に入団すると、3年目には114試合に出場。規定打席には届かなかったが3割近い打率を残した。そしてレギュラーを獲得するため満を持して臨んだ4年目のシーズンに、その出来事は起きた。

 ペナントレース前に行われる春のオープン戦。打席に入った豊田さんの右手首に相手投手が投げた球が直撃した。その瞬間、絶望が脳裏を駆け巡った。「ああ、野球人生は終わったな」。診断結果は予想通り骨折だった。リハビリ中は右手首をかばうあまり、今度は右肩を痛めた。復帰への焦りばかりが募り「正直ふてくされていた」と当時を振り返る。

 どん底の豊田さんを救ったのは、大学時代から相性の良かった江川さんとの対戦だった。82年9月28日、ナゴヤ球場であった巨人との首位決戦。チームは巨人先発の江川さんを打ち崩せず、九回裏の攻撃時点で2―6とリードを許していた。

 豊田さんは先頭打者として代打で登場。江川さんの投じたカーブをレフト前にはじき返すと、勢いにのった打線はこの回に同点に追いつき、延長十回にサヨナラ勝ちした。この年、中日は逆転優勝を果たしたが、ターニングポイントとして豊田さんのこの日のヒットを挙げるファンは多い。「人生で最高の瞬間だった」

 しかし、負傷の影響もあり、その後はなかなか調子が出ず、翌年以降は代打や守備固めでの出場が続いた。88年に現役を引退。通算成績は251安打、13本塁打、84打点だった。引退後は中日でコーチやスカウトを務めた。

 実家がすし屋と中華料理店を営んでいたことから、いつかは自分の飲食店を持ちたいと思っていた。19年、その夢を実現させる。自身の性格を店名にした居酒屋「おちょうしもん」をオープンした。

 人気メニューは旬の魚を使った創作料理やおばんざい。開業1年で新型コロナウイルス禍が襲い、満足に営業できない時期もあったが、客に支えられて営業を続けてきた。1月30、31日に「5周年祭」を開くと、約20ある席はいずれも満席となった。

 「あの時デッドボールを受けずレギュラーになっていたら謙虚に生きる大切さもわからなかった。生きていると、最悪だと思う瞬間があるかもしれないが、そこから学ぶからこそ、今につながると思う」。酸いも甘いも知る男は、きょうも笑顔で客を迎える。【塚本紘平】

とよだ・せいすけ

 1956年、東京・台東区で生まれ、練馬区で育った。中日では1989~97年にコーチ、2000~08年にスカウト(03年はコーチに復帰)を務めた。中日OBとして「今年はAクラスを目標に頑張ってほしい」とチームの今季の活躍に期待を寄せる。名古屋市在住。

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