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忘れられた「天皇陵」、市民の憩いの場に 大阪・高槻の今城塚古墳


 本当の天皇陵と考えられているのに、墳丘部分にまで立ち入れるまれな前方後円墳が大阪府高槻市にある。今城塚古墳だ。公園として整備され、市民や来訪者の憩いの場となっている。発掘調査で見つかった埴輪(はにわ)などを展示している同市立今城塚古代歴史館も含め、被葬者の権力の強大さを実感した。【新宮達】

 今城塚古代歴史館の内田真雄館長(48)に案内してもらった。今城塚古墳は墳丘の長さが181メートル、その周りの二重の堀を合わせると全長は約350メートルと大きい。外周は約1キロあり、歩くと結構な運動になる。弁当を広げて談笑している小学生の集団や、散歩している夫婦らが次々と視野に入ってくる。

 古墳は過去に実施された発掘調査などを踏まえ、531年に亡くなったとされる継体天皇の墓が学説となっている。一方で、宮内庁が継体天皇陵と定めて管理しているのは、約2キロ西にある太田茶臼山古墳(同府茨木市)だ。こちらも全長226メートルの立派な前方後円墳だが、築造されたのは5世紀という。

 なぜこんなことになったのかというと、今城塚古墳の存在が薄れ、忘れられたらしい。13世紀後半の鎌倉時代の公家の日記に、古墳を荒らした犯人が逮捕されたとする記述があり、盗掘に遭っていたことがうかがえる。その後、砦(とりで)としても利用されたという。

 決定的になったのが1596年の慶長伏見地震だ。天下人・豊臣秀吉の伏見城が倒壊したことで知られるが、今城塚も地滑りで墳丘が崩れ、内側の堀の大半が埋没したという。やがて地域住民が里山や田畑として利用する程度となり、太田茶臼山が継体陵と認識されるようになったとか。

 築造時、盛り土をした墳丘の高さは15~17メートルとビルの3~4階に相当するという。今や見た目はどこにもある里山だが、立ち入ると何となく神聖な感じがした。

 出土した埴輪の数や種類は圧倒的。張り出し部分の埴輪祭祀(さいし)場では200点以上が見つかった。復元され、最大規模の家形や、希少な完全体の牛、高槻市のマスコットキャラクター「はにたん」のモデルとなった武人などユニークだ。

 盗掘や地震で石室は失われたとみられ、副葬品などはちらばった状態で見つかった。石棺材は3種類の石が使われ、一つは軟らかく加工しやすい九州の阿蘇ピンク石。850キロ以上の海路で運ばれたということを考えても、すごいの一言だ。

 ここが継体陵となったら近寄ることはできなくなるのでは――。内田館長は「(被葬者を特定できる)墓誌でも出れば別ですが、見つかっているのは奈良時代からですし、盗掘されているのでまず出てこないでしょう」とのこと。

 古代歴史館では表面の文様で造られた埴輪の時期が異なることや、7世紀半ばの「大化の改新」で活躍した藤原鎌足の墓と考えられる近くの阿武山古墳なども紹介している。いろいろ学べて、お得な一日だった。

高槻市立今城塚古代歴史館

 大阪府高槻市郡家新町48の8。午前10時~午後5時。月曜(祝日は開館)と祝日の翌平日、年末年始は休館。入館無料(特別展などは有料の場合あり)。まが玉や埴輪づくり教室を定期的に開催している。電話(072・682・0820)。

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