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冤罪事件、弱きを助け続けた人生 弁護士・西嶋勝彦さんを悼む声


 1966年に静岡市(旧清水市)で一家4人を殺害したとして強盗殺人などの罪で死刑が確定し、静岡地裁でやり直しの裁判(再審)が行われている袴田巌さんの弁護団長、西嶋勝彦さんが7日、82歳で死去した。袴田さんの無実を信じて闘い抜いた「リーダー」の突然の訃報に、関係者から悼む声が上がった。

 13日に弁護団事務局長の小川秀世弁護士と支援者の山崎俊樹さんが県庁で記者会見して明らかにした。7日午前に都内の自宅で倒れ、病院で死亡が確認されたという。

 西嶋さんは中央大法学部を卒業後、65年に弁護士登録。「正義が実現できる仕事を」と刑事弁護の道を志し、初の「死後再審」として知られる53年の徳島ラジオ商殺人事件(85年に再審無罪)や、54年に島田市で女児が殺害され、死刑確定後の89年に再審無罪となった「島田事件」の弁護に携わった。

 袴田さんの事件では、最初の再審請求時に弁護団に加わり、2004年から弁護団長を務めた。4年前に肺の病気が判明したが、常に酸素吸入ボンベを付けて車椅子で裁判所に通い、司法判断に翻弄(ほんろう)されながら再審開始を勝ち取った。

 弁護団会議では議論を決着させる重要な意見を述べることが多かったといい、小川弁護士は「判断が的確で重みがあった。収拾がつかないときに引っ張っていただいた」と振り返った。山崎さんは「体調が悪い中でも公判に来て、翌日帰るという生活。無罪判決を聞かせてあげられず残念でならない」と唇をかんだ。今後の弁護団の体制は未定だが、活動自体に支障はないという。

 会見には袴田さんの姉の秀子さん(90)もオンラインで参加した。秀子さんは「優しくて良い人だった。長い間お世話になり、ご苦労さまでした。そして、ありがとうございました」と在りし日をしのび、感謝を語った。歴史に残る冤罪(えんざい)事件をいくつも手がけ、幕引きのその時まで、弱きを助け続けた人生だった。【最上和喜、丘絢太】

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