梅雨の合間の週末、雨は久しぶりに上がっていた。
6月、東京・歌舞伎町の大久保公園周辺には、日付が変わる頃になっても20人以上の女性が立っていた。その横で酒を手に談笑する4人の輪の中にリオ(仮名、20歳)がいた。時折、顔をしかめている。左手の甲が青く腫れ上がっていた。
何本かの缶チューハイで酔っても痛みが引かない。でも、リオは病院に行くつもりがなかった。というより、「自分は行けない」と思っていた。健康保険証がないからだ。
深夜の薬局へ
歌舞伎町には、路上の女性たちに手を差し伸べる人たちがいる。NPO法人「レスキュー・ハブ」の坂本新さん(52)もその一人だ。2年以上、週末に街の一角で相談室を開いてきた。
この日、午前0時を回って相談室を閉めた坂本さんは帰り際、輪の中にいるリオに目を留めた。
「どう、元気にしてるの?」と尋ねると、リオは左手を差し出した。「かなり痛いかも」。前日に転んで壁か床に打ち付けたが、酔っていたのでよく覚えていないという。坂本さんは、リオをすぐそばの「ニュクス薬局」に連れて行った。
夕方から午前3時半まで営業する歌舞伎町の名物薬局で、客の大半はキャバクラや性風俗店、ホストクラブといった「夜職」に就く20~30代だ。
経営者で薬剤師の中沢宏昭さん(45)は、その悩みや相談にも耳を傾ける。リオの手を見て「もしかしたら骨が折れているかも。腫れが引かないなら病院に行った方がいいね」と言った。
坂本さんは痛み止めを買った。「どうする? 今度診てもらう? でも保険証、ないんだよな」。自動販売機で買った水で錠剤を流し込んだリオは、その問いにうなずいた。
坂本さんの心配
リオはその1カ月ほど前から相談室に顔を出していた。路上に立って日銭を稼ぎ、ネットカフェを転々としている。ホストクラブには行かず、大音量の音楽の中で酒を飲んで踊るクラブ(ナイトクラブ)に通っている。
地方の高校を卒業後、上京して短大に進学した。まもなく、渋谷のクラブに行くようになった。目当ては「ナンパされること」だった。「イケメンだったら誰でもいい。それじゃダメだと思うんだけど」と言う。
ある日、妊娠に気づく。相手はクラブで出会った彼氏だったが、頼れなかった。何とか自分で費用を工面して中絶手術を受けた。短大は入学半年で退学した。その頃を最後に、帰省もしていない。2022年夏、歌舞伎町へ来て、夜になると路上に立ち、1万5000円で客を取った。
そんなリオを、坂本さんは心配していた。
「彼女はまだそこまで歌舞伎町にどっぷりつかっていないと思うんです。ホストにもはまっていないし。でも、今のままこの街に居続けてしまうと、そのうち悪意を持った男にいいようにされてしまうんじゃないかと」
女性たちの代わりに
半年ほど前に酔って保険証もスマートフォンもなくしたリオを前に、坂本さんは早速、保険証がなくても受診できる無料低額診療制度について調べた。週明けにはリオを新宿区役所に連れて行き、指定された病院に行けば無料で受診できるように手配した。
リオの手の骨は、折れていなかった。後日、ニュクス薬局にはお礼に行った。
「あの時の子、打撲でした。でも助かりました。もしまた1人で来ることがあったら、私に連絡してください。あの子、スマホ持っていないんで」
中沢さんは笑ってうなずいた。
そこまでするのかと思うことがしばしばある。そんな私(記者)の気持ちを読み取ったのか、坂本さんは言った。
「もし本人に気持ちがあるなら、路上で売春を続けて抜けられなくなってしまう前に何とかしてあげたいんですよね。リオちゃんの場合は東京で働いてもいいし、地元に戻ってもいい。でも住所もスマホもないと、たぶん彼女一人ではどうにもならない。そのためには今目の前で困ってることを少しでも解決してあげないと」
ただ、目の前の困り事は、いつも予定の外にある。リオを深夜の薬局に連れて行った日、坂本さんの仕事はそれで終わらなかった。【春増翔太】