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「坊っちゃん」でも「こころ」でもない 若手漱石研究者のお薦め作品


 まだ気温は高いものの、読書の秋が近づいてきた。夏目漱石研究者の大谷大学文学部助教、深町博史さん(39)を訪ね、「漱石を読むなら何か」を聞いてみた。その答えは「坊っちゃん」や「こころ」「草枕」ではなく、意外なエッセー(随筆)の2作品だった。漱石のエッセーの魅力って?【三角真理】

 深町さんが挙げたのは「思い出す事など」と「硝子戸(がらすど)の中」の2作品。「エッセーだからこそ分かることがある」という。それはどんなものなのか。「漱石の、人としての魅力です」と深町さん。漱石が自身の悩みや苦しみをありのままに書いている。

 たとえば、漱石はうそをつかれるのがすごく嫌。「硝子戸の中」にこんなふうにある――。

 うそをつかれるのは嫌だが、相手がうそをついているかどうか分からないから苦しい。解決策は二つある。相手がうそをついているか見分けられる完璧な能力を持つ。または、全ての人が正直者になる――。

漱石「幽霊信じる」「生きるの苦しい」

 この部分に深町さんは「子どもみたいなことを言っていますよね」と頰を緩める。確かにこの解決策どちらも非現実的。それでも漱石は真剣に論じる。そしてやるせなくなる。

 「思い出す事など」では「私は臆病者で幽霊を信じている」と書いている。深町さんは「漱石は幽霊が怖いんです。知的な人でも怖いものは怖い。親近感を覚えます」とまたまたうれしそう。

 こうした随筆から伝わってくるのは「生活は忙しいし、人付き合いは大変。生きるのは苦しいということ」。100年前も、今と変わらないと共感できる。

 ところで、二つの随筆はどんな作品なのか。

 「思い出す事など」は、漱石が胃潰瘍を悪化させて一時危篤状態にまでなった後につづっており「生き延びた」という安堵(あんど)と喜びが前面に出ている。「周りの人も親切にしてくれて『社会って、思っていたよりいい』と幸せにあふれて明るい作品」と深町さん。

 しかし、社会復帰した漱石はまたも「生きること」に苦しむ。そのころ執筆したのが「硝子戸の中」。「先が見えない中、書くことで人生をとらえ直そうとした。苦しくても『いかに生きるか』を問い続け、最終的には生きる手がかりをつかむ」。それが証拠に、題名どおり「硝子戸の中」に引きこもっていた文豪は、ラストシーンで、その硝子戸を開け放つ。

ずるいこと、ひきょうなことが嫌い

 「二つの随筆を読んでから漱石の小説を読み直すと新たな感慨があります」

 具体例を挙げてくれた。漱石はずるいことやひきょうなことが嫌い。これはたとえば「硝子戸の中」のカメラマンとの話から読み取れる。つくり笑いが嫌いな漱石は「笑わない」ことを条件に撮影に応じるが、結局、笑顔を要求されてしまう。約束をほごにされ、行間からは憤りが伝わる。

 友達から本を買ったときのエピソードにも現れている。漱石は「安く買えてラッキー」と喜ぶのだが、あとになって、自己嫌悪に陥る。「正当でないことをしたようで嫌だったのでしょう」と深町さんが代弁する。

 漱石のこの性格をつかんだうえで、「こころ」を読む。「先生」はおじさんに裏切られて人間不信に陥る。漱石に「裏切り」などもってのほか。随筆を読んでいれば、それが痛いほどわかり、先生の苦しみがいっそう伝わってくる。

 「坊っちゃん」にも漱石の潔癖な性分が出ている。坊っちゃんは清が大好きだが、清が自分だけをひいきするようなのは嫌。公明正大であってほしいのだ。だから「人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない」とある。随筆に見る漱石像とピタリ一致。この発見がうれしい。

生きることはどういうことか

 随筆で漱石は、生きること、病、死についても多く述べている。

 「漱石は生きることはどういうことかを考え続ける。思い通りにいかないことが多い世の中で、人は何をすべきなのかと。でも結局分からない」。しかし「分からない」ことを悲観していない。「人はとかく解決やゴールを求めてしまうが、それは無理なのです」(深町さん)。

 「硝子戸の中」に、人から「その後病気はいかがですか?」と聞かれたら「継続中」と答えるようにしているというくだりがある。「漱石は病気のことだけをいっているのではない。人生には継続したまま解決しないことがいっぱいある。それでも笑って生きていく。その覚悟をここに学びます」

 自伝的小説「道草」の最後にも「世の中に片付くなんてものは殆(ほと)んどありゃしない」という言葉がある。

「漱石の語る社会に生きている」と実感

 深町さんは山口県出身。「高校まで本は全然読んでいなかった」が、京都外国語大英米語学科3年のとき「1日1冊読めば人生変わる」と耳にして一変、「1日1冊」を実行する。そして漱石の「草枕」に衝撃を受ける。就職や人間関係でもんもんとしていた自分とそっくり重なったからだ。「漱石の語る社会に私も生きている、と思えた」。そして「漱石は明治の社会に何を見て何を考えたのか知りたい」と文学の道へとかじを切る。

 「若者の活字離れ」が言われるが、深町さんは悲観していない。「高校時代に本を読んでいなくても、社会に出て世間の荒波を受けたとき、きっと本の世界に入っていく。そして“ここに同じことが書かれている”と見つけるだろう」。自身の経験をもとに期待する。

 ところで、漱石はどうやって生きるための手がかりを見つけたのか。「苦しみに捕らわれがんじがらめになるのではなく、距離をとって自分を見たのだろう。書きながら見つけた方策だと思う」

 漱石の悩みを読んで、救われる気分になることがあるかもしれない。

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