starthome-logo 無料ゲーム
starthome-logo

収蔵庫に眠る埴輪の破片、60年経て来歴判明 学芸員のひらめき


 兵庫県たつの市立埋蔵文化財センターの収蔵庫に60年近く眠っていたとみられる埴輪(はにわ)の破片(2個)が、同県加古川市の古墳から出土した甲冑(かっちゅう)形の埴輪の一部だったことが判明した。収蔵庫でたまたま破片を目にした同センター学芸員の眼力が「再発掘」につながった。

 「あれっ、この三角形の模様は……」。2022年10月ごろ、学芸員の岩井顕彦さん(43)は薄暗い同センター収蔵庫の棚にあった来歴不明の埴輪の破片を手にした際、古びた報告書に載っていた、出土物を写し取った拓本のことが頭にひらめいた。「あれだ」

 この時期、岩井さんは古墳時代の鉄製甲冑に関する特別展の準備に取り組み、改めて収蔵品を見直すとともに、甲冑が出土した播磨地方の古墳に関する報告書や書籍をかたっぱしから読んでいた。その一つで、法花堂2号墳(姫路市)に関する報告書(1986年)にこの埴輪片とそっくりの拓本が載っていたことを思い出したのだ。報告書の中では拓本は参考資料だったため特に説明はなく、1行だけ「行者塚出土 短甲の埴輪」と記されていた。

 行者塚古墳は加古川市にある全長約100メートルの前方後円墳で、95~96年に初めて本格的に発掘調査され、甲冑形(短甲形)埴輪の一部が出土した。加古川市文化財調査研究センターによって全体像が復元されている(高さ約57センチ、最大幅約59センチ)。

 岩井さんはすぐに同センターに連絡し、破片を持ち込んで検証。粘土の質、焼き上がり、模様の特徴が一致し、「同一のものとみてほぼ間違いない」と結論づけた。

 二つの破片は、甲冑を模した埴輪の胴の一部(長さ約18センチ、幅約14センチ)と、腰から下を守る草摺(くさずり)の一部(長さ約16センチ、幅約36センチ)だった。岩井さんと一緒に検証した同センターの平尾英希学芸員は「長年、別々に保存されていた破片が一致したという事例は聞いたことがない」と話す。

 なぜ、加古川市の埴輪の破片が、西に約40キロに位置するたつの市で保存されていたのか。岩井さんによると、法花堂古墳の報告書執筆の中心メンバー(故人)は、長く播磨地方の古墳調査に関わり、加古川市や旧新宮町(現たつの市)でも調査を担当した。岩井さんは「故人が昭和30年代に発掘前の行者塚古墳で採集した破片を特に長く調査に関わった旧新宮町に託したと考えられる」と話す。

 播磨地方では甲冑形の埴輪の出土例は少なく、今回の発見によって全体の形状が把握できる貴重な事例となったという。岩井さんは「かつては出土物の扱いは今より大らかで、来歴不明のまま所蔵されていることがある。それらを収蔵庫から発掘して光を当てることも学芸員の大事な仕事だと感じた」と振り返る。

 岩井さんが企画した鉄製甲冑に関する特別展は今年2~3月に終了。その副産物である埴輪の破片は現在、「収蔵庫の隠れたおたから」と題してロビーに展示されている(入場無料)。24日まで。展示後は加古川市に移管する予定。問い合わせはたつの市立埋蔵文化財センター(0791・75・5450)。【村元展也】

    Loading...
    アクセスランキング
    game_banner
    Starthome

    StartHomeカテゴリー

    Copyright 2024
    ©KINGSOFT JAPAN INC. ALL RIGHTS RESERVED.