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弘法大師ゆかりの寺、28年ぶり再建へ 不審火で全焼、寄付集まる


 歴代鳥羽城主の祈願所として知られる金胎寺(こんたいじ)(三重県鳥羽市鳥羽3)の本堂が、28年ぶりに再建されることになった。不審火で全焼したままになっていたが、5年前に就任した長谷密賢住職(38)の呼びかけに応え多くの人たちが寄付を申し出て、再建にめどが立った。長谷住職は「津波被災時には避難場所としての活用も考えている」と期待する。【林一茂】

 金胎寺は平安時代に弘法大師が開山したと伝わる。当初は、観音堂の名称で近くの海辺に建てられていたが、戦国武将の九鬼嘉隆が鳥羽城を築城後に城内に移築。1633年に内藤家が城主になった際、現在地に移転した。明治初めの神仏習合に伴い、金胎寺に名称が変わった。鳥羽城主の祈願所として栄えてきたが、檀家(だんか)がないため近年は寺の運営に苦しんできた。

 火災は1995年に発生し、本堂が全焼し、一部の建物も被災。庫裏や天神堂などが被災を免れたが、老朽化が進みいずれも解体された。現在は拝仏堂が残るだけだ。

 長谷住職は2018年、知人の紹介で高齢の先代住職に代わって就任した。すぐに金胎寺の奉賛会や寺ゆかりの人たちに本堂の再建を訴え、寄付を呼び掛けた。「いつの日か再建した本堂で、開運厄よけの護摩を焚(た)き、その火によって煩悩を焼き尽くし、開運厄よけを成就するのが夢だった」と話す。

 檀家がないため、当初は難しいと思われたが、長谷住職の熱意に応え、100人を超す人たちから総額千数百万円の再建資金が寄せられた。長谷住職は「せめて休憩所にする東屋でも建てられたら良いとの思いだったが、まさか本堂再建にたどりつけるとは」と感謝した。すでに設計図は完成したが、物価上昇で建設資材の高騰に頭を痛める。近く、建設業者と話し合い、設計を見直して建設に着手する予定という。

 金胎寺は海抜11メートルの山腹に建てられた。境内は津波発生時の町内の避難場所に指定されている。冬や降雨の避難時には、本堂を開放したいとしている。

 昨年解体した庫裏の調査で、1784年正月に城主をもてなした献立絵図や、黒焦げになった本尊の十一面観音像(室町時代)、薬師如来坐像(ざぞう)(平安時代)など200点の仏像の他、古文書、銅鏡などが見つかった。調べが進むにつれ金胎寺の歴史的な価値が注目されている。

 長谷住職は「檀家のないお寺ですが、皆さんに助けられここまで来られた。本当にありがたい。地域の人たちに愛され気軽にお参りができるお寺にしたい」と語った。

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