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児童ら17人死亡の米軍機墜落事故 沖縄・宮森小で慰霊祭 遺族参列


 沖縄が米国に統治されていた1959年6月、沖縄県石川市(現うるま市)の宮森小学校に米軍ジェット機が墜落し、児童ら17人が死亡した事故から64年となった30日、同小で慰霊祭が営まれた。遺族ら約100人が参列する中、米軍機とみられる複数の機体が近くを飛び、ごう音をとどろかせた。参列者は沖縄への米軍基地の集中が解消されない現状を嘆いた。

 慰霊祭は遺族会と事故の悲惨さを語り継ぐ活動を続けるNPO法人「石川・宮森630会」が主催。参列者は黙とうをささげ、犠牲者の名前が刻まれた「仲よし地蔵」に手を合わせた。

 参列した630会副会長の稲福晃さん(71)は事故当時、宮森小の2年生だった。墜落機の燃料に引火して、別のクラスの同級生たちがいた教室が炎に包まれる光景を目撃した。シャツを血に染め、泣き叫びながら子どもたちを手当てする教頭の姿が忘れられない。

 23日の「慰霊の日」に糸満市であった沖縄全戦没者追悼式に参列し、岸田文雄首相が沖縄の基地負担について「重く受け止めている」とあいさつするのを聞いた。「どの首相も同じように『沖縄に寄り添う』と言うが、かえって腹立たしい。実際は訓練が激しさを増し、騒音もひどくなっている」と訴えた。

 宮森小の事故は戦後沖縄で最大の米軍機事故となった。59年6月30日、嘉手納基地所属の戦闘機が近くの集落に墜落し、衝撃で跳ね上がった機体が校舎に激突、炎上した。パイロットは墜落前に脱出して無事だったが、児童11人と住民6人の計17人が死亡。後に1人がやけどの後遺症で亡くなった。事故原因は整備不良だった。【比嘉洋】

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