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官房長官が訂正した「唯一の地上戦」 沖縄だけでない 過去にも議論


 沖縄全戦没者追悼式を翌日に控えた6月22日、松野博一官房長官が午前の記者会見で、太平洋戦争末期の沖縄について「日本で唯一の地上戦があった地域」と表現し、すぐに訂正した。政府は2010年に「唯一の」の表現の不正確さを認めているが、その契機となったのは、ある国会質疑だった。

 松野氏の発言は、岸田文雄首相が追悼式典に出席する意義を問われた際に出たもので、約5時間後に「我が国の領土における地上戦は複数の地域において行われており、必ずしも正確でない」と言い直した。松野氏は正確性を欠く発言になった理由について「突然のお尋ねに対し、手元に資料がなかったため」と釈明した。翌23日に沖縄県糸満市であった式典では、玉城デニー知事が平和宣言で沖縄戦について「一般住民を巻き込んだ悲惨な地上戦が繰り広げられた」と述べ、岸田首相はあいさつで「沖縄は凄惨(せいさん)な地上戦の場となった」と話した。

 「唯一の地上戦」との表現は、戦後50年の1995年の式典での村山富市首相のあいさつなど公式の場でたびたび用いられてきた。だが、旧民主党政権時代の10年5月21日、沖縄戦について「沖縄本島、その周辺のみで地上戦が行われたとする認識は必ずしも正確ではない」とする答弁書を閣議決定した。

 その11日前にあった衆院沖縄・北方問題特別委員会での質疑。北海道を地盤とする民主党の山岡達丸氏(当時。現在は立憲民主党所属)が、太平洋戦争末期に日本統治下にあった南樺太(現ロシア・サハリン南部)への旧ソ連軍の侵攻に触れ、「防衛庁防衛研修所戦史室(現在の防衛省防衛研究所)が作っている資料でもはっきりと樺太の地上戦はあったということが書かれている」と指摘した。その上で「(沖縄戦が)国内唯一の(地上戦)という表現は不適切ではないのか」とただした。

 これに対し、前原誠司沖縄・北方担当相(当時)は、軍属島民も亡くなった硫黄島(東京都小笠原村)の戦いに言及した上で「多くの尊い命が失われたという意味においては樺太戦も同様だ」と述べ、「国内唯一の地上戦が沖縄だということについては訂正した方がいい」と答弁した。

 樺太からの引き揚げ者やその家族らでつくる全国樺太連盟(高齢化のため21年に解散)が17年に発行した「樺太四〇年の歴史」には、「樺太での戦災死者は約2000人といわれる」との記述がある。

 山岡氏は、樺太から引き揚げた人やその家族から「(沖縄戦が)『唯一の地上戦』との表現が出るたびに樺太が忘れられているような気持ちになる」と聞かされてきたといい、質問当時については「北海道の立場から被害のことを言わないと永遠に繰り返されると思った」と振り返った。その上で「沖縄で最大の地上戦があったということは変わらない。沖縄に対抗したいという意味ではなく、北海道にも悲惨な被害を受けた人がいることに思いを寄せてほしい」と強調した。

 ただ、この時改められた政府の見解は定着したとは言いがたい状況だ。その後も17年の衆院予算委員会の答弁で当時の安倍晋三首相が「沖縄では唯一の地上戦が行われた」と述べたほか、議員側にも「唯一の地上戦」との発言がたびたび記録されている。山岡氏は「正しく戦争の悲惨さを知ってもらうという意味で正しい認識をもってほしい」と話した。【森口沙織】

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