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日立製作所工場で慰霊行事 資料館設置、戦争の惨禍継承に力


 太平洋戦争末期、米軍による空襲で日立製作所海岸工場(茨城県日立市幸町3)の従業員が多数犠牲となってから10日で78年となる。9日は同社日立事業所と三菱重工業日立工場で慰霊行事が行われ、従業員ら約5000人が1分間黙とうした。日立事業所では5月に戦災資料館を設けるなど、社を挙げて戦争の惨禍を後世に語り継ごうとしている。【田内隆弘】

 1945年6月10日朝、軍需工場だった海岸工場は100機以上の米軍爆撃機B29による波状攻撃を受けた。1トン爆弾500発以上により工場は破壊され、爆撃に巻き込まれたり、防空壕(ごう)に避難して生き埋めになったりした従業員634人が亡くなった。日立市はその後も7月17日夜に艦砲射撃、19日夜には焼夷(しょうい)弾による爆撃を受け、市街地の大半が廃虚に。近隣の住民も含めると1500人以上の命が奪われた。

 日立事業所では6月10日を「戦災の日」とし、毎年慰霊行事を続けている。今回は土曜日に当たるため、1日前倒しして実施。荒天のため防空壕跡に建つ「殉難の碑」の参拝などは見合わせたが、爆撃が始まった午前8時51分に合わせてサイレンが鳴らされ、従業員らは目を閉じて故人の冥福と平和を祈った。

 創業者の小平浪平(1874~1951年)は戦後「多くの従業員が亡くなった防空壕の上で物作りはできない。騒がしく音を立てるべきではない」と考え、工場跡地に植樹して鎮魂の場とした。創業の精神と社の歴史を伝える小平記念館を建て、さまざまな資料とともに戦災の遺物を展示してきた。記念館は老朽化のため解体され、多くの資料が2021年に後継施設「日立オリジンパーク」(同市大みか町)へ移された。しかし戦災資料については「被災した事業所で従業員らの手で受け継いでいくべきだ」との考えで、植樹から長年かけて立派に育った森の中に新たに戦災資料館を建てて管理することになった。

 資料館では、空襲当日の破壊された工場の写真や爆弾の破片、殉職者名簿を展示。中でも目を引くのが、防空壕に閉じ込められたまま亡くなった岩間正二さんの遺書だ。

 「出様(でよう)ト苦心ヲシタ 途中マデ行ツタ 暗サト道具不備ノ為(た)メ断念ス」「救助ヲ待ツガ仲々トドカナイ」などと懸命に生還を試みた様子を記録し、「壕ノ中デ死ヌノハ未ダ残念デス」「母チャン色々御世話様ニナリマシタ」などと思いを吐露している。終戦後の10月に見つかった岩間さんの遺体は、手帳と鉛筆を両手に握ったままだったという。

 同事業所総務グループ主任の根本充さん(39)は「困難な時代を乗り越えて今があるのだと従業員に認識してもらいたい。悲しい出来事が繰り返されないよう、先輩方から伝えられたことを事業所として次の世代に伝えていく責務がある」と話した。資料館は従業員と遺族のみに公開しているが、地元小学生らを対象とした平和学習への活用なども検討している。

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