依存デイズ 生きづらさを抱えて/4
本人の言葉を借りれば「従業員をジャガイモみたいにしか見てへん感じの鬼」の社長が運営する飲食店でツヨシ(47)は店長を務めていた。労働環境が悪いという。
「ギャンブルをやめて1年を祝う会」が開かれた後の2022年夏、ツヨシは希望がかなって店を退職できることになった。最終勤務の日、私はその店を訪ねた。「お疲れさまでした」とねぎらうと、ツヨシは「バイクで日本一周したいですね」と夢を語った。
店を辞めることはギャンブル依存症だったツヨシにとって特別な意味があった。
家出し夜行バスで大阪に来て間もない18歳の頃、仕事をせず1年間、パチンコで生活費を稼いだ。19歳で結婚。子どもも生まれ、居酒屋や日雇い派遣のアルバイトなどさまざまな職で収入を得た。
「30歳ぐらいで競馬も始めて。30万円スッて嫁に『あほちゃう』って言われたこともありました。でもまだ切羽詰まった感じではなくて」
依存度が悪化したのは、30代半ばから今の飲食店で働き始めて以降だった。朝起きて出勤間際まで携帯電話で馬券を買い、店に着いたら鶏肉を串に刺す仕込みをしながらまた買う。「仕込みとか1人の時間が増えて一気に加速して。競馬だけでも1日10時間以上やってたんちゃいますかね」。1カ月で100万円ほどつぎ込むこともあり、当然、資金は足りなくなった。
ツヨシは「ほんでコレして」と言って人さし指をクイッと曲げる。店の売上金に手を付けた、という意味だ。
金を抜き、後日、家の金から補塡(ほてん)する。子どもの入学費用を回したこともあった。追いつかなくなり、社長に自白。辞めさせられたり刑事告訴されたりすることはなかったが、何度か繰り返し、店への「借金」として残った着服金は約200万円に上った。
「子どもが病気で」と作り話をして常連客から金を借りたこともあった。借金を全て合わせると最大で800万円ほどになっただろうか。妻とは離婚。家の電気や水道が止まり、店の水道で体を洗ったこともあった。
1日15時間勤務で給料が安いという仕事へのストレスもあった。「死にたいほどの孤独感があったんちゃいますかね。競馬やってる時って他のこと考えず、頭がバカになるんですよ。瞬間的なスリルで穴埋めしたんでしょうね」
「心のざわざわ」衝動との闘い
40歳を超え、ギャンブルはやめたいと思うようになった。でもやめられない。「生きてても全然おもろないな」と自宅アパートで自殺を図ろうとしたこともあった。
ギャンブル依存症の人が集まる自助グループにも通ったが、治らない。ツイッターで「もうダメやと思います」とつぶやいた後、それを見たカヲル(55)が勤務先の店を訪ねてきたのは21年のことだった。
カヲルは依存症者をサポートする団体「T.R.A.C.K.S LEAGUE」(トラックスリーグ)の代表だ。依存症の人が放つ悩みを日々、ツイッターでチェックしており、ツヨシにメッセージを送った。
「名前だけ見て最初は女やと思ってた」が、来店したカヲルはひげを生やした男性だった。その後、カヲルとの個別のミーティングが始まった。
カヲルに言われ原因を分析すると、ストレスを感じた時、暇な時間ができた時にギャンブルに手を出していると分かった。「だから最初、休みの日にまず無理やり京都へ旅行に行ったんですよ。でも旅行の仕方が分からんくて、夜はホテルでカップ麺食べて。踏んだり蹴ったりでした」
だが、徐々に計画を立てられるようになり、先の予定を心待ちにするようになった。「心がざわざわ」するとカヲルに連絡を入れ、衝動がくることを抑えた。
ギャンブルをしない1日を積み重ねていくと、気づけば「脱ギャンブル1年」につながっていた。店への借金も返し終え、ツヨシは退職することができた。「しばらく会えてなかった子どもとも会えるようになって。この前は誕生日プレゼント渡して、ご飯食べたんですよ」
だがある日、再び競馬新聞を手にしてしまう。(敬称略、登場人物は仮名)【巽賢司】