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吉永小百合さん朗読が転機 「奇跡の出生」受容25年 感謝の詩作も


 母親の胎内で原爆に遭い、原子野の街の片隅で、生を受けた人がいる。そんな生い立ちが注目を浴びるあまり、戸惑いを感じたこともあった。しかし、いま残された時間が限られる中、自分の命をつないでくれた人たちへの感謝を、詩を通じて伝えようとしている。

「生ましめんかな」重荷にも

 傷ついた人たちが身を寄せ合う、暗がりの地下室。一人の女性が産気づき、女の子が産声を上げた。赤ちゃんを取り上げたのは、重いやけどで高熱に苦しんでいた助産師だった。死と隣り合わせの中、新たな命の息吹は人々に光を与えた。

 1945年8月8日、原爆投下で焦土と化した広島で生まれた小嶋和子さん(77)=広島市南区=は2023年2月上旬の夕方、市内の墓地にいた。墓に眠るのは、極限の状況下で自分を取り上げてくれた助産師の三好梅代さん。墓石の汚れをそっと拭い、ピンクのチューリップを供えた。年に何回か訪れている墓前で、「お久しぶりですね」と語りかけ、手を合わせた。

 小嶋さんの出生の場面は、詩人で被爆者の栗原貞子さん(2005年に92歳で死去)の代表作「生ましめんかな」で、原爆の廃虚の中の希望の象徴として描かれた。母平野美貴子さんは、被爆直後に避難した、爆心地から約1・6キロ先の広島貯金支局で小嶋さんを産んだ。

 若い頃はそんな生い立ちを重荷にも感じた。高校生の時、新聞で紹介されたのをきっかけに自宅や学校に記者が押し寄せた。「当時の話は母から詳しく聞いていないのに、人前で知らないことを話さなくてはならないつらさがあった」。8月6日が近づくと、逃げるように広島を離れたこともある。

 転機は、50歳を過ぎた97年7月。俳優、吉永小百合さんによる「生ましめんかな」の朗読を聞いた。吉永さんも東京大空襲から3日後の東京で生まれている。境遇が似た吉永さんの語りに耳を傾けていると、母親が見た当時の光景が目の前に広がったように感じ、涙が止まらなくなった。それからは余計なことを考えず、ありのままの思いを話せるようになった。

「葉が茂るように、出会いに恵まれた」

 喜寿を迎えた22年夏から始めたことがある。母が与えてくれた命を、助産師の三好さんが芽吹かせ、栗原さんが幹として支えてくれた――。そんな着想を元に詩の創作に取り組んでいる。「75年間は草木も生えぬ」といわれた広島の焦土にいち早く咲いたキョウチクトウに自身を重ね合わせる。自分を取り巻く人たちにきちんと届けたいと、一言一句吟味している。タイトルは「つながれた命の樹」と決めたが、創作自体は試行錯誤を続けている。

 体調に特段の不調はなく、市内でカフェを営む知人の誘いに応じ、ほぼ毎日2時間、接客を手伝うなど健康だ。ただ、年齢を重ねるにつれ、残された時間を意識するようになった。「木に葉が茂るのと同じくらい、多くの出会いに恵まれた。そして笑顔の花が咲いた。私も先が長いとは限らんけえ。これまでの歩みを掘り下げて書き残したい」

 言葉を紡いでいると、たびたび後悔の念を抱く。大勢のマスコミに戸惑っていた若い頃、栗原さんは「あなたは生きているだけでいいの。何も考えず、話したい時に話せばいいんだからね」と励ましてくれた。優しい言葉に救われた一方、母から積極的に体験を聞こうとはしなかった。「私が生まれた時、母や三好さんはどんな状況で、何を感じたのか。もっと聞いておけばよかった」と悔やむ。

 自らが生まれた時の過酷な状況は、終わりが見えないウクライナの惨状にも重なる。「子どもも赤ちゃんも、容赦なく罪のない人が死ぬるんじゃけえ。生きているからこそ、自分という存在の価値や誇らしさがわかるのに」。平和の尊さをかみしめつつ、創作に力を注ぐ。【根本佳奈】

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