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「ようやくここまで来た」=役場4度移転、不安に寄り添う―双葉町副町長の平岩さん・福島


 全住民が避難を余儀なくされた東京電力福島第1原発事故から約11年半。事故前の福島県双葉町役場で30年近く働いてきた平岩邦弘副町長(60)は、待ちわびた特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示解除と帰還実現に「本当に長かった。ようやくここまで来た」と喜ぶ。  平岩さんは1984年に町職員となり、2011年3月11日の震災当時は原子力対策係長だった。自宅には津波が押し寄せ1階部分が浸水したが、家族とはすぐに連絡が取れた。ほっとする一方、稼働中の第1原発の原子炉が自動停止し、冷却設備も停止したと連絡を受けた。「とにかく情報収集に専念した」と振り返る。  翌12日に全町避難が決まり、住民と共に約60キロ離れた同県川俣町への移動を開始した時には「こんな大きい原発事故が起きるなんて考えてもいなかった」と話す。同町に着くと、原発が水素爆発を起こしたことを知った。「本当に帰れるようになるのか」と絶望的な気持ちになったという。  町役場機能は川俣町からさいたま市の「さいたまスーパーアリーナ」、埼玉県加須市の「旧騎西高校」、福島県いわき市と4度移転。平岩さんは避難所運営にも携わり、避難先を転々とする町民から「なぜ町に戻れないのか」「いつ避難所生活は終わるのか」といった不安やいら立ちの声を受け止めた。  先が見えない状況に光が差したのは17年に決まった町内の復興拠点設定だった。復興推進課長として町の再生計画策定にも携わり「ようやく一部だけだが、何とか帰れる道筋が立ったと思った」と話す。  ただ、復興拠点外に家を持つ町民の言葉が胸に刺さっている。「いつ戻れるのか」「何で全部除染しないんだ」。平岩さんは「『その通りだよな』と思っている」と話し、「町として、帰還困難区域の全域解除は繰り返し訴えていく」と思いを強くしている。  復興拠点内でも、町民が安心して帰還するための生活環境整備など課題は山積みだ。「昔通りというわけにはいかないけれど、新しい町をみんなで作っていきたい」と意気込む。9月5日には新庁舎での業務も始まるが、いまだ約2000人が避難するいわき市にも行政サービス機能は残し、町民へのフォローを続けるという。「町民にとって少しでも希望になるような仕事ができたら良いな」と笑った。     ◇事故発生後の双葉町の動き 2011年 3月11日  東日本大震災、東京電力福島第1原発事故         12日  町災害対策本部で全町避難を決定、福島県川俣町へ         19日  さいたまスーパーアリーナ(さいたま市)に再避難       4月 1日  埼玉県加須市旧騎西高校に避難所を移転         22日  町内全域が避難区域に設定   13年 6月17日  役場を福島県いわき市に再移転   17年 9月15日  町内の「特定復興再生拠点区域」(復興拠点)設置を国が認定   20年 3月    帰還困難区域のうちJR常磐線の駅周辺の避難指示解除。町内の復興拠点全域の立ち入り規制も緩和   22年 1月20日  復興拠点内での「準備宿泊」開始       8月27日  双葉駅前の役場新庁舎が開所         30日  復興拠点の避難指示解除      10月~    双葉駅西側の公営住宅の入居開始 (了) 【時事通信社】 〔写真説明〕取材に応じる福島県双葉町の平岩邦弘副町長=24日、福島県いわき市
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