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日本文化を世界に発信=西洋中心のモードに大きな影響―森英恵さん死去


 森英恵さんは「日本人のアイデンティティーを失ってはならない」という信条を持っていた。東洋人として初めてパリ・オートクチュール組合の正会員に選ばれ、日本の伝統美を取り入れた「ハナエモリ」の洋服は、西洋文化中心のモード界に大きな影響を与えた。  1965年に米ニューヨークで開いた初めての海外コレクションでは、友禅染やちりめんなどをぜいたくに使い、絢爛(けんらん)豪華なイブニングドレスなどを披露。色も当時ニューヨークで流行していた黒を避け、選択した鮮やかな赤色は「日本の赤」と評された。特に、大胆な日本調の柄が注目を浴び、群れ飛ぶチョウのプリントは、後に「ハナエモリ」の代名詞となった。  こうした海外進出の背景には、「日本文化を正しく伝えたい」との強い思いがあった。当時の欧米人は、日本文化について誤解をしていたり、知らなかったりというケースがほとんどだったからだ。  森さんは、日本女性のイメージについても「ニューヨークでは、オペラ『蝶々(ちょうちょう)夫人』のように、男に仕える哀れなものしかなく、違和感があった。モダンなチョウのデザインで欧米人のイメージを覆そうと思った」と語っていた。  パリのオートクチュールでは30年近くにわたり作品を発表。後進の日本人デザイナーに道を開くとともに、日本の文化、日本人の美学や感性を世界に発信し続けた。 (了) 【時事通信社】 〔写真説明〕パリで開いた春夏オートクチュールで花を受け取る森英恵さん=1997年1月(AFP時事) 〔写真説明〕パリの秋冬オートクチュールコレクションを開いた森英恵さん(中央右側)=2004年7月(AFP時事) 〔写真説明〕ファッションショー関連のトークセッションで登壇した森英恵さん(左)と孫でモデルの森泉さん=2013年10月、東京都内(EPA時事)
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