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私財なげうち、空港守る=「銃弾ない空、飛びたい」―旧海軍パイロット赤松さん・高知


 旧日本海軍の航空基地として使われていた高知空港(高知県南国市)は戦後、連合国軍に接収され、撤去の危機に直面した。これを救ったのは、私財を投じて航空団体を立ち上げた旧軍のパイロットたちだった。中心となった元海軍中尉赤松貞明さん(1980年に69歳で死去)は晩年、「ゼロ戦で、弾の飛んでこない大空を存分に飛びたい」と、平和な空への夢を語った。  赤松さんは日中戦争に出征後、太平洋戦争でエースパイロットとして南太平洋、インド洋を転戦した。本土防空を担う中で終戦を迎え、35歳で生まれ育った高知市に戻り、サツマイモ栽培などで生計を立てた。  転機が訪れたのは52年。高知県議会は接収後、使われなくなっていた高知空港を農地に戻す意見書を採択した。「交通が不便な高知の発展には空港が必要だ」と憂慮した赤松さんは、連合国軍が日本人の航空事業禁止を同年に解除したことを受け、家を売り払い、県内の旧日本軍パイロットらと「西日本軽飛行機協会」を設立。同空港で飛行機の運航を続けた。次女の唐沢麗子さん(82)は「母が居酒屋を開いて家計を助けていた」と当時を振り返る。  協会でもパイロットとして活動した赤松さんは、空港で遊んでいた子どもを「乗せてやるき」と誘い、遊覧飛行したことも。おいの久万裕幸さん(82)は「サービス精神旺盛で、にこにこ笑って翼を上下に振っていた」と懐かしむ。空中戦で命のやりとりを経験した赤松さんは、命を救う海難救助活動に最もやりがいを感じていたという。  協会の活動を通じて空港の必要性が認識されるようになり、県議会は54年、空港を維持する意見書を改めて採択した。  赤松さんの半生を調べてきた高知市の団体職員、福井正洋さん(41)は「戦争を悲劇で終わらせず、日本の復興に貢献した」と評価。「一人のパイロットの希望ある人生を見てもらいたい」と思い、収集した資料を展示する「赤松貞明記念館」の設立を目指している。 (了) 【時事通信社】 〔写真説明〕高知市内の模型店で開かれた赤松貞明さんに関する展覧会。手前のパネルに写っているのが「撃墜王」とも呼ばれた赤松さん=7月23日、高知市 〔写真説明〕赤松貞明さんのおいの久万裕幸さん(左)と記念館設立を目指す福井正洋さん(右)。絵は赤松さんが乗っていたゼロ戦を描いたもの=7月23日、高知市
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