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成功への誇りと癒えぬ傷=突入作戦の軍関係者―日本大使公邸事件・ペルー


 【リマ時事】南米ペルーの首都リマで1996年12月に発生した左翼ゲリラ「トゥパク・アマル革命運動(MRTA)」による日本大使公邸占拠事件は、翌97年4月の終結から間もなく25年を迎える。事件では、人質72人のうち日本人24人全員を含む71人が生還したが、突入した陸軍特殊部隊員2人が命を落とした。軍は今も作戦に強い誇りを抱いている。一方、遺族が負った心の傷は、四半世紀を経ても癒えることはない。  ペルー北部のチクラヨに、殉職したラウル・ヒメネス中尉=当時(27)=の遺族を訪ねた。遺族によると、ヒメネス氏は明るく、いつも家族の輪の中心にいた。母マリアさん(72)は、息子の死を知った時のことを「同姓同名(の別人)であることにいちるの望みをかけた。確認後も『間違いでは』『悪い夢では』と諦められなかった」と述懐。「胸に今もぽっかりと穴があいている」と語った。  弟のイゴルさん(49)は、作戦前に兄と交わした会話が忘れられない。「もしかして出動するのか」と尋ねると、兄は「72人が人質に取られている。本来は自由であるべき人たちだ。救助に行けと言われたら、喜んで行く」と力強い答えが返ってきた。  以前はやり切れなさでいっぱいだったが、今では勇敢で責任感が強い兄らしい人生だったと思えるようになったという。イゴルさんは今回の取材を機に、10歳の娘に初めて亡兄のことを詳しく説明した。「自分の伯父がすごい英雄だったんだと感激していた」と、誇らしげに目を細めた。  作戦に参加したフアン・ロドリゲス元大尉(53)は、リマ南部につくられた大使公邸レプリカで、身ぶり手ぶりを交え突入作戦時の様子を再現してくれた。事件発生の翌朝に極秘招集を受けたといい、突入作戦では「煙で全く視界がない状態で、階段で激しい銃撃戦となった。公邸を熟知し訓練を積んでいたので、テロリストより迅速に対応できた。恐怖心はなかった」。音を頼りにゲリラに銃弾を浴びせ、無我夢中で2階から人質を連れ出した。「作戦に参加できてとても誇りに思う。ペルーを解放し、日本を助けることもできた」と強調した。  にこやかだったロドリゲス氏の顔色が変わったのは、投降したMRTAメンバー数人が軍に「処刑」された疑惑に触れた時だった。「でたらめだ。作戦で壊滅に追い込まれたMRTA側が、復讐(ふくしゅう)のためについたうそだ」と強い調子で否定した。今なおくすぶる処刑説が、軍関係者の心のとげとなっていることをうかがわせた。 【時事通信社】 〔写真説明〕日本大使公邸占拠事件で死亡したヒメネス中尉の遺影を掲げる遺族=9日、ペルー・チクラヨ 〔写真説明〕日本大使公邸レプリカで、突入作戦の状況を再現するペルー陸軍特殊部隊のフアン・ロドリゲス元大尉=7日、リマ
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