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混沌の中で生まれた名曲=世代超える「ハイサイおじさん」―喜納昌吉さん・沖縄復帰50年


 歌手の喜納昌吉さん(73)が作詞作曲した「ハイサイおじさん」の発売から50年余。本土復帰前に作った曲は復帰後にヒットし、曲調を少しずつ変えながら県境や国境を超え、多くの人に愛されてきた。喜納さんは「混沌(こんとん)の時代に生まれた曲だった」と振り返る。  最初に世に出たのは、本土復帰3年前の1969年。沖縄戦のトラウマで精神障害になった女性が自分の子を殺害し、残された夫の「おじさん」が喜納さんの家に酒をねだりに来る際の掛け合いが歌になった。  三線奏者だった父が出したレコードに収録され発売されると、出身地コザ市(現沖縄市)の米軍基地そばのバーで人気になった。当時はベトナム戦争末期。生還した米兵らでごった返し、薬物や暴力がまかり通る夜の街で「歌えば米兵も日本人も関係なく踊りだした」と懐かしむ。  喜納さんはその後、同市で民謡クラブを経営するが、本土復帰の直前、麻薬を売買したとして逮捕された。復帰の日、祝い騒ぐ県民を警察署の留置場の窓から眺めた。曲は県内でヒットし始め、自身は沖縄刑務所で聞いた。1年4カ月余の刑期を終え、釈放されたのは本土復帰後だった。  だが、家族や仲間と生活リズムが合わない。「みんなが浮き足立っていて、時間の流れるスピードが速かった。転換期に乗り遅れた」。77年発売の本土デビューのバージョンでは「復帰のリズムにつぶされないように」と、当初ゆっくりだった曲をアップテンポにし、曲が全国に知れ渡った。  その後、故志村けんさんが「変なおじさん」の替え歌を作ったり、甲子園では高校野球の応援歌として広く使われたりして、さらに幅広く愛されるようになった。  時代のスピードとともに、曲のテンポを一段と速めて演奏することもあった。しかし、新型コロナウイルス禍になってからは、ゆったりしたテンポにすることが多い。「復帰以来、ずっと浮き足立っていた沖縄の雰囲気が落ち着いたこともある」という。コロナ禍でライブ活動も思うようにならない状況だが、「今こそ自分が求められているのではないか」と音楽活動を続ける。 (了) 【時事通信社】 〔写真説明〕「ハイサイおじさん」を演奏する喜納昌吉さん=1月28日、那覇市 〔写真説明〕沖縄が日本に復帰する1972年前後に、自身が経営していた民謡クラブ「ミカド」で演奏する喜納昌吉さん(中央の男性)(喜納さん提供)
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