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ひとりの若者として「旧車バブル」に対して思うこと


街で見かけるとつい目で追ってしまうことも多い、旧車やネオクラシックカー。 現代のクルマにはない、昔懐かしいデザインによる独特の雰囲気や、電子制御に頼らない“ピュア”な運転感覚が魅力的です。 そんな旧車やネオクラシックカーを購入するうえで、避けて通ることができない問題が、「旧車バブル」による車両価格・部品価格の高騰。 そこで今回は、20年前に生産されたアウディ・初代TTに乗る大学生の視点で、旧車やネオクラシックカーの高騰について語ってみようと思います。 ■「旧車バブル」をめぐったジェネレーションギャップ 私自身が旧車(といっても、初代TTはまだ“ネオクラシック”の域には入っていないと思いますが)に乗っていることもあり、私の周囲のクルマ友達には旧車に乗っている方々が非常に多いです。 私よりもひと回り以上年齢が離れている方とお話をする機会もあるのですが、「旧車バブル」への考え方にもジェネレーションギャップがあるように感じます。 私と同世代の若者には、「旧車=高価」という認識が広く浸透しています。少なくとも私にとっては、旧車が相対的に高価であることは当然の事実だし、需要と供給のバランスから考えも「仕方がない」ことだと思うのです。 対して私より少し上の世代は、昨今の中古車相場を知って「今ってこの車種がこんなに高いの⁉」と驚く方が多い印象です。 「昔は○○なんて今の半額以下で買えたのに…」というフレーズ、今まで何度耳にしたでしょうか。 今でいう“旧車”がバリバリ現役で走っていた頃から中古車市場に触れていた方々にとって、旧車の価格高騰は「異常なこと」「受け入れられないこと」として認識されているように感じます。 「旧車バブル」をめぐったジェネレーションギャップ、あくまでも私の周囲から肌感覚で感じていることに過ぎず、一般化できるような傾向ではないと思います。 しかしそれでも、現代の学生の多くが、旧車を「なかなか手が届かないクルマ」として広く認識しており、ファッショナブルな旧車を“憧れ”として捉えていることはれっきとした事実です。 「若いうちはとりあえず旧車に乗る」という慣習は、既にとっくに崩れ去っているのです。 ■多くの世代に大人気なネオクラシックカー なぜ、旧車の値段は泡のように膨れ上がってしまったのでしょうか。 私の考えはいたってシンプルで、単に「多くの人々が欲しがっている」からだと思うのです。 今やネオクラシックカーは各世代から引く手あまた。 若者向けのファッション誌で「他人とは違うファッショナブルな選択」として旧車特集が組まれる一方、中年向けのライフスタイル誌でも「ノスタルジーを感じる旧車にもう一度乗りたい」と、旧車が大々的に取り上げられているのです。 今や若者においては、旧車は多くの層に「なんかイイね」と持ち上げられる存在。 イマドキの若年層は古いモノに惹かれがち。「写ルンです」人気が印象的なフィルムカメラブームと同じように、旧車もとっても人気なのです(実際、ネオクラシックなゴルフカブリオを乗り回す女の子とか、たまに見かけたりします)。 加えて、電子制御に頼らないリニアな運転感覚も旧車の魅力。 現代のクルマが高度に発達してコンピュータとの融合が進むのにつれ、古典的な“ノリモノを操縦する感覚”を楽しめる昔なつかしい旧車が、中年層の間でますますホットな存在になるのも不思議ではありません。 さまざまな理由で、さまざまな世代から愛される現代のネオクラシックカー。人気沸騰の中で需要が上がれば、価格高騰は必至であるといえましょう。 今やチョイ古の中古車は軒並み値段が高騰している状況。 消費者目線では「けしからん」と思わなくもないですが、供給量が減りがちな旧車において、需要が爆増すれば値段が上昇するのは至極当然のことなのです。 恨むべくは、旧車バブルの最中に旧車を購入した人々。高値で旧車を購入する人がいなければ、経済の原理にしたがって旧車の値段は下がるはず。 もちろん、本当に旧車オーナーを恨むのは筋違いもいいところ。あくまでも冗談です、悪しからず…。 ■旧車バブルが引き起こした「若者のクルマ"所有"離れ」 あくまでも私の肌感覚に過ぎませんが、クルマが好きな若者の数自体は、そこまで減少していないはず。 その一方で、クルマを所有する若者は大きく減りました。思うに、「旧車バブル」こそが、若者から“クルマの所有”を引き離した原因のひとつではないかと思うのです。 少し前までは、免許を取りたてのクルマ好きな若人は、良い感じの旧車を“そこそこの値段”で楽しんでいたと聞いています。 しかし今の若者世代にとって、旧車やネオクラシックカーの高騰は、もはや当たり前。 今の若者の前にある安価な中古車は、ファッショナブルでもない古びたファミリーカーか、故障リスクから敬遠されているチョイ古のクルマばかりです。 クルマ好きの若者は、中古車サイトを前に現実を突きつけられるのです。 限られた予算のなかで最も“マシ”な選択肢を選ぶのか、そもそもクルマを所有することを諦めるのか…。  私の場合、「故障リスクから敬遠されているチョイ古のクルマ」を選びました。 縁あって初代TTをはじめての愛車として迎え入れ、2年にわたって所有しています。 初代TTを維持するうえで痛感したことが、いま安価で手に入れることができる少し前の旧車は、コンピュータを用いた電子的な制御が積極的に行われるようになった時代のクルマであるということ。 生産から20年余りが経った今、この電気仕掛けが大いなる故障リスクを孕んでいるのです。 しかも、コンピュータ部品は修理費用が高額になる場合が多め。予期せぬ高額出費に怯えながらチョイ古の旧車を維持していく生活は、決して楽しいばかりではありません。 幸いにして今のところ、貯金が底を尽きるような故障には見舞われていません。 それでも、将来的にやってくるであろう電気系統の故障に備えて、同年代の友人以上にアルバイトに勤しむ日々を送っています。 実際に旧車を所有してみると、故障を恐れてクルマの購入に踏み切れない若者は少なくないはずだと、容易に想像できます。 私だって、初代TTに出会ったときにうっかり冷静になってしまっていたら、購入を躊躇してしまっていたかもしれません。 今のご時世、(特に首都圏に住む)若者たちは、カーシェアリングサービスを使うことで、極めて“低コスト”かつ“低リスク”でクルマとの接点を作ることが可能です。 自分自身でクルマを所有するコストが増大した「旧車バブル禍」において、クルマ好きの若者が「所有」という択を選ばないのは、至極合理的な判断だといえるでしょう。 こうして、旧車の価格高騰の“副作用”として、最近よく耳にするようになった「若者のクルマ離れ」、もとい「若者のクルマ“所有”離れ」は、静かに進んでいるのではないでしょうか。 私の周囲にいる同年代と話していると、「旧車バブル」が与えた負の影響の大きさを実感せずにはいられないのです。 ■ひとりの若者として、「旧車バブル」に対して思うこと ネオクラシックカーに憧れる多くの若者(に限らず、すべてのクルマ好き)にとって、大きな障壁として立ちはだかる旧車価格の高騰。 “バブル”が起こってしまった理由は、ひとえに旧車が多くの人々にとって魅力的に映ったからに他なりません。 今の私には、「クルマの値段は安いに越したことはないんだけどなァ」と思いながらも、暴騰する中古車相場を諦観することしかできません。 「旧車バブル」は仕方がないものの、非常に恨めしいものです。 しかし強いて言うのであれば、旧車人気が沸騰するなかで「旧車を大事に乗る文化」が広く浸透したことは、ひとりのクルマ好きとしては非常に喜ばしいことだと思います。 旧車人気の顕在化に対応して、廃盤部品の供給が復活するニュースも度々耳にするようになりました。 「旧車バブル」を通じて旧車の価値が上がれば、乗り潰されて姿を消していくネオクラシックカーは減っていくはず。 願わくは、いつか所得が上がって憧れの旧車に手が届くようになるときまで、その車種が“生き残って”いてくれますように。 「旧車バブル」が、クルマ好きの懐事情を締め付けるだけのものではなく、クルマ文化を盛り上げ、将来世代に旧車を受け継ぐきっかけとして、意義あるものになることを願うばかりです。 そして欲を言えば、初代TTの人気が爆発的に上がって、部品供給網が途絶えることなく続き、コミュニティも今以上に隆盛して、維持コストが劇的に下がったら非常にうれしいなァ…と思います(冗談めいた夢物語ですが、そうなればいいのにな)。 [画像/Abobe Stock・ライター/林哲也] ...続きを読む
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