AKB48や地下アイドルなど「会いに行ける」アイドルが世に浸透して久しい昨今。そんな中で、今「会いに“来てくれる”」ヴォーカルデュオとして奮闘する女性たちがいます。
その名は、元ミュージカル俳優同士で結成された「Pokke(ポッケ)」。いま関東を中心に、老人福祉施設や地域フェスなど様々な場所に赴き、これまでの経験を活かしたパフォーマンス活動を行っています。
「私たちのステージをより多くの人たちに届けたい!」というPokkeはいま、どんな旅先へと向かっているのでしょう?
おふたりにお話をうかがいました。
ヴォーカルデュオ「Pokke」はこうして誕生
――まず、Pokkeの結成エピソードを聞かせてください。
高橋亜由美さん(以下、高橋):私たちの出会いは、故・神田沙也加さんがヒロイン役をつとめた、ミュージカル座主宰『プロパガンダ・コクピット』初演での共演です。舞台はWキャスト公演で、私たちは同じ役どころだったんです。
吉川華奈子さん(以下、吉川):同じ稽古場で一緒に稽古をしているうちに「今度自分たちでライブをやってみようよ」と意気投合し、Pokkeが結成されました。
高橋:当時はハングリー精神の強い24、5歳くらいの年ごろでしたからね。「ライブで黒字を出してやろう」という考えは全くなく「とにかく人前でパフォーマンスをしてみたい」という気持ちだけが先行して。
吉川:最初のライブは自費で東新宿のライブハウスを借り、これまで勉強してきた大好きなミュージカルのナンバーをひたすらつめこんだ1時間強のステージでした。
高橋:公演は2回で、観客はほとんどが友だちや身内でしたが、おかげさまで100人キャパのライブハウスはどちらも“満員御礼”だったのが嬉しかったのを覚えています。
3年間の充電期間を経て再結成
――大成功の初ライブからPokkeとして現在の本格活動に至るまでにブランクがあったとお聞きしましたが、そのワケは?
高橋:「またやりたいね」って言っていた矢先、私が劇団四季のオーディションに合格し、入団が決まったんです。
吉川:私はその間もフリーで活動し、他のメンバーとPokkeのライブも行ったりもしました。元々Pokkeは3人組だったんです。でも続けていくのは難しい。他の舞台の仲間もPokkeのメンバーも結婚や就職などでライフスタイルがガラッと変わることの多い年齢になった。Pokkeの活動も最後かな、なんて思っていました。
高橋:その頃、私は3年在籍した劇団四季を退団。吉川と再会して話すうちにまた活動したいという熱が高まり、吉川と私の二人組のPokkeとして再始動しました。
――では、再始動に際してどのような働きかけ・アクションを起こしたのでしょうか?
吉川:まず、私たちのパフォーマンスを必要としているのは誰だろう、どこだろう? と考えるところから始まりました。そこで考え浮かんだのが、老人介護施設です。今までのミュージカル活動の話を聞いた私たちの父母や祖父母が「生の舞台を見ることって(年齢的に)なかなかできないよねえ」と言っていたのを思い出し、それがヒントになりました。
高橋:施設にいるお年寄りや長期入院している方たちは、外に出向くのがむずかしいじゃないですか。それなら「私たちの方から会いに行こう!」と。映像で観るよりも目の前で生の姿を観る方が臨場感も違うし、より心が揺さぶられると思ったんですよね。
吉川:そこに「綺麗な衣装を着たフレッシュな私たちが昭和歌謡を歌う」というエッセンスをくわえ、ギャップを感じてもらうのもウリになりそうだ、と。
高橋:でも、事務所に所属せずフリーで活動している私たちがお仕事をいただくには、当然自分たちで売り込み営業をするしかありません。
吉川:福祉施設の公式サイトのお問い合わせフォームからメールを送ったり、知り合いを頼ったりなど、とにかくやれることは全部やりました。
高橋:その活動が実を結び、ある老人福祉施設でステージをやらせていただくことになりました。でも、最初はひどいもんでしたよ(笑)。
吉川:機材もないし衣装もないし、当然スタッフもいない。昭和歌謡を披露するのはいいけど、世代ではない私たちは何もわからない。などなど問題は山積みで……。
吉川:当日は、機材はラジカセ一台、衣装は私服、マイクもないから生声。施設までは徒歩。それが駅から遠くて遠くて……(笑)。舞台進行もわからないし、セトリ(曲順)なんてあったもんじゃないですよ。すべてが手探り状態でした。
高橋:それでも施設の方たちは、まるで孫のお遊戯会を観るようにあたたかく見守ってくださって。パフォーマンス後は「とてもよかった」「次はこんな曲を歌って」などお褒めの言葉を頂戴して、それが救いになりましたね。
――現在は老人福祉を中心に、さまざまな場所に活動の幅を広げていますね。そこではどんな内容のステージを披露していますか?
吉川:ありがたいことに、ステージを行った施設スタッフさんの伝手で、またその伝手で……。と、私たちの活動が口コミ的に広がり、今は地域の寄り合いや自治体のフェスなどからもお声がけいただけるようになりました。
高橋:ステージ内容は、行く場所や観客のカラーを考えて構成しています。たとえば老人福祉施設では、誰もが知っている往年の名曲を中心に昭和歌謡を歌います。また、オリジナルで考えた手話や手遊びをまじえた童謡なども。
吉川:市役所でのロビーコンサートや街角コンサート、地域まつりなどでは、ミュージカル曲や子供からお年寄りまで馴染みのあるアニメ映画の名曲、歌謡曲にJポップなど幅広いジャンルの歌も取り入れています。
――新規顧客やリピーターを増やすために、どんな努力をしていますか?
吉川:ステージ後にアンケートを配り「良かった・悪かった点」や「次に聴きたい曲」などのご意見を集めてブラッシュアップしていきます。それを繰り返しているうちに、持ち歌もどんどん増えてきました。あとは歌っていると、見ている方が喜んでいたり泣いているのが目にとまる。その反応でこの曲は心に響く曲なんだと分かりますね。
高橋:撤収作業をしていると、この曲が聞けて嬉しかった!と自ら利用者の方が直接伝えに来てくれることも。帰りの車内では二人で総括して次回のパフォーマンスに繋げます。また、どんなお声がかかっても対応できるよう、ストックを増やす努力をしています。そのためには、日々の情報収集と練習は欠かせません。今はキッズ向けのパフォーマンスも練習中です。オールラウンドなヴォーカルデュオを目指しているので、課題は山ほどありますね。
吉川:とにかく私たちのステージを見て欲しい。「お声がかかればどこにでも行く」というスタンスで活動しています。
Pokkeが思い描く今後の展望
――現在もフリーで活動を続けている理由を教えてください。
高橋:営業活動から機材や衣装の手配、移動から舞台の設営、撤収まで、すべて自分たちで行っています。事務所に所属すればそういった雑務は必要ありませんが、現場の声を活かしたプログラム構成ができないと思ったんです。
吉川:直接スタッフの方や利用者さんとやりとりをした方が歪みが生じない。自分たちが納得のいくパフォーマンスを自分たちのペースで一から作りたいんです。
高橋:また、すべて自分たちでこなすことで人件費などの経費が大幅にカットできます。その分、破格な出演料でステージをお届けできる。そこが最大の強みとなります。
――クリスマスのステージ予約はすでにいっぱいなのだとか。そんなPokkeの将来の展望は?
吉川:老人福祉施設からはじまり、おかげさまで現在は商業施設の開幕セレモニーでライブをやらせていただけるようにもなりました。活動を続けていく中で、普段ライブ・コンサートに行けない施設利用者やスタッフ、自治体職員など、様々な方たちとの出会いは貴重な財産だと思っています。
高橋:活動場面を増やすためには、そんな方たちを大切にすることが重要。みなさまに「Pokkeのライブはいいよ」と色んな方たちへ伝えていただき、私たちに興味をもっていただければ嬉しいです。
吉川:それだけではなく、自分たちからの発信も必要で、SNSの活用も視野に入れています。現在はInstagramだけですが、今後はTikTokやYouTubeなどの動画配信にも挑戦していきたいです。
高橋・吉川:どこにでも会いに行きます! どうぞお気軽にお声がけくださいね!
【Pokke プロフィール】
高橋亜由美(左)
1990年11月10日生まれ。神奈川県海老名市出身。
昭和音楽大学ミュージカルコースを実技主席で卒業。卒業後はフリーで数々のミュージカルやライブに出演。
2014年劇団四季入団。『美女と野獣』に出演。
退団後は全国巡業のミュージカル劇団に所属・出演。
その後、多彩な声色を認められ、故・伊東万里子主宰・代表の人形劇団貝の火に所属し、公演では主要な役をつとめ、幼稚園保育園を中心に巡業公演を行なう。
吉川華奈子(右)
1989年5月16日生まれ。埼玉県川口市出身。
白百合女子大学国語国文学科卒業。
小学生の頃に入団したミュージカル団がきっかけとなり、歌やダンスを学ぶ。関東国際高等学校演劇科でミュージカルの基礎を学び、大学卒業後はフリーにて活動。
ミュージカル座公演に多数参加。「ひめゆり」「何処へ行く」「マザー・テレサ〜愛のうた〜」「アワード」他。
コンサートやライヴ、CM、web動画、ディナーショーなどにも参加した。
現在は萩野華奈子から改名し、吉川華奈子として活動している。
【Pokke 公式Instagram】
https://www.instagram.com/pokke_music.singer
<取材・撮影・文/櫻井れき>