1975年にリリースされて大ヒットを記録し、最近でも『エレファントカシマシ』の宮本浩次や俳優の橋本愛によるカバーが話題となった、歌手・太田裕美の代表曲である『木綿のハンカチーフ』の誕生秘話を、同曲の作詞を担当した作詞家の松本隆氏(71)が『朝日新聞DIGITAL』で語っていた。
松本隆氏とは、「日本語ロック」の草分けである伝説のバンド『はっぴいえんど』でドラムと作詞を担当し、その時代では画期的であったダブルミーニング的な手法を歌詞に取り入れ、日本のロック界や歌謡界に大きな影響をもたらしめた“言葉の魔術師”だ。とくに、作曲家の(故)筒美京平氏とのコンビは「最強タッグ」とされ、『木綿のハンカチーフ』以外にも『スニーカーぶる〜す』など、数々のヒット曲を生み出している。そして、松本氏はインタビュー中で『木綿のハンカチーフ』の制作プロセスを振り返りながら、筒美氏の類稀なる才能について、こう称賛している。
「京平さんがすごいのは、歌い出しの♪恋人よ ぼくは旅立つ…の最後の『つ』の音階を上げるところ。普通の作曲家はそこまで飛躍しない。天才だと思う。あと、この詞に明るい曲をつくるのもすごい才能。普通ならもっとしっとりした曲にするはずだから」
たしかに『木綿のハンカチーフ』をカラオケで歌うときでも、いきなりやってくる試練が、この「旅立つ」の「つ〜」のパート。ここをどう切り抜けるかが、同楽曲のフル歌唱の成功・失敗を分けると言っても過言ではない。歌い出しのたった4小節目
読者の皆さまもご存知のとおり、この『木綿のハンカチーフ』の歌詞とは、かいつまんで説明してしまうと、
「成功を求め、都会へと旅立った男が、徐々に都会の絵の具(=洗礼)に染まりはじめてしまい、田舎に残されて離れ離れとなってしまった素朴な恋人がその煌びやかな変貌ぶりを憂う」
……といった、ある意味救いようのない内容である。だが、そんな悲しい気分を楽しく歌う、日本人にはない感性──まさに(村上龍氏曰くの)三波春夫の『チャンチキおけさ』ばりの「ブルースの世界観」(※私はむしろサンバ・ボサノヴァの世界観だと解釈している)を曲調に取り入れることによって、切なさがよりいっそう際立っている。当時……どころか今でもなかなかお目に(お耳に?)かかれない斬新かつ稀有なアプローチではないか。
しかも、この哀愁ただようラブストーリー……なんと! 実在のモデルがいたという。
「(筒美氏との)話し合いの中で地方都市の歌を作ろうと。『東京育ちのきみは地方のことを知らないだろう』と言われたりもしたけれど、炭鉱町になじみがある福岡県出身のレコード会社のディレクターをモデルに(歌詞を)書きました」
なるほど!「東へと向かう列車」はボタ山が並ぶ福岡の炭鉱町から出発していたわけですね。こうした新たに“発覚”したシチュエーションを曲中に彩りとして加えてみると……またこれまでとは違った情景と情緒が頭に浮かび心に染みてくる『木綿のハンカチーフ』とは……まごうことなき「昭和の名曲中の名曲」なのであった。
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