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ギネスも認定するカリスマ「ジャニー喜多川」が、15年で芸能界を制することができたのはナゼか?




7月1日、ジャニーズ事務所が、代表のジャニー喜多川さんが解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血を発症していることを発表した。





ジャニーさんは6月18日に体調の異変を訴え救急搬送。以来、入院して闘病を続けているということだ。





今の日本でジャニーさんほど有名な芸能プロデューサーはいない。自らを"世界のジャニー"と称し所属タレントのことは誰彼無しに"YOU"と呼ぶという捉えどころのないキャラクター。ほとんど表舞台には出ないものの、タレントに暴露される天然で飄々としたエピソードから広い世代に愛されているジャニーさん。しかし1970年代前半にスカウトをうけた京本政樹さんによると、若かりし頃のジャニーさんはアフロヘアでパンタロンのスーツにロンドンブーツというイケイケの業界人ファッション。現在とは異なるスタイリッシュな印象だったそうだ。また50年以上のプロデューサー人生で成し遂げた実績は客観的に見てもまさに辣腕。ジャニ―喜多川とはいったいどんな人物なのか。そして彼の創り上げたジャニーズ事務所は日本の芸能界にどのような影響を与えたのかふり返りたい。



 



 



■アメリカで培ったセンスと審美眼





ジャニーさんは1931年、アメリカ・ロサンゼルス出身。高野山真言宗米国別院の主監だった父の帰国にともない生後ほどなくして日本に戻るが、第二次世界大戦後の1947年にふたたびロサンゼルスに渡り学生生活を送っている。アメリカでは当時大人気のテレビ番組『ザ・ペリー・コモ・ショー』を観て最先端のエンターテインメントにふれ、自らも笠木シズ子さん、美空ひばりさんら訪米したスターのサポート業務に携わるなど芸能界とのかかわりを深めていったジャニーさん。その後、日本に帰国し紆余曲折を経て1962年にジャニーズ事務所を創業するわけだが、彼の何よりの強みはアメリカで培ったセンスとタレントに対する審美眼。



 



はじめてプロデュースを手がけた『ジャニーズ』は1960年代の日本では画期的な本格男性ダンスボーカルグループとして爪跡を残したし、続けて手がけたフォーリーブスでは少女マンガに出てくるニ枚目キャラクターのような男性アイドル像を確立した。



1960年代までのスターと言えば石原裕次郎さんや加山雄三さんのように男くさいキャラクターで占められていた。しかし時代はよりポップでマイルドなスターを求めていたのだ。このニーズを的確にとらえたジャニーさんはナベプロによる沢田研二さんの売り出し方や芸映による西城秀樹さんの売り出し方を参考にしつつ、磨きをかけ、男性アイドルのプロデュースをジャニーズ事務所の専売特許へと昇華していった。

 





■たのきんからSMAPに至る15年で芸能界を制す





1970年代後半は一時期低迷したジャニーズ事務所だが、1980年代初頭からの田原俊彦さん、近藤真彦さん、野村義男さんのたのきんトリオの快進撃はめざましいものがあった。出す曲は当然のようにオリコン1位、紅白歌合戦やレコード大賞など賞レースにも常連。



 



この時期にジャニーズ事務所はそれまで芸能界を支配していたナベプロやホリプロと同列の地位に上り詰めたのだ。その後もシブがき隊、少年隊、光GENJIと切れ間なく成功が続き、そして1990年代半ばにSMAPが芸人ばりのコントを繰り広げて冠番組『SMAP×SMAP』(フジテレビ)を成功させ、かつ中居正広さんが持ち前のトーク力で数々の人気番組の司会者におさまったことでジャニーズ事務所は音楽、ドラマ、バラエティ、ニュース、CMなど芸能界の全方面を制するにいたった。



 



ここに至るまでにはタレント達はもちろん実姉であるメリー喜多川さんやスタッフ達の尽力も無視できないが、急成長してゆく事務所を破たん無くまとめ続けることができたのはジャニーさんのカリスマ存在あってこそだった。

 





■King &Princeから郷ひろみ、あおい輝彦まで!ギネスも認めるそのプロデュース力





言うまでもないことだがジャニーさんが芸能界に送り出したスターは数多い。これまで挙げた以外にも現在、ジャニーズ事務所の屋台骨を背負っている嵐、KinKi Kids、TOKIOからデビューしたばかりのKing &Princeまでジャニーズアイドルをテレビで見ない日はない。たのきんトリオ以前のことが語られる機会は少ないが、あの郷ひろみさんや川崎麻世さんもデビューはジャニーズ事務所。



 



時代劇ドラマ『水戸黄門』で印籠をふりかざしていたあおい輝彦さんも先述の『ジャニーズ』のメンバーだ。つまりジャニーさんが発掘したスターはハタチそこそこの若者から70代の大御所スターまでほとんど全世代におよぶのだ。



ジャニーさんはギネス世界記録から「チャート1位を獲得した歌手を最も多くプロデュースした人物」、「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」、「最も多くの№1シングルをプロデュースした人物」に認定されている。彼こそ日本における不世出の芸能プロデューサーと言えるだろう。

 



87歳の高齢にも関わらず、今年に入ってからも滝沢秀明さんを系列会社のジャニーズアイランド社長に据えるなど、意欲的にジャニーズ事務所の改革にとりくんできたジャニーさん。令和の新時代を迎え、彼ならではの日本アイドル界のビジョンを持っていたはずだ。1日も早いご快復と、第一線への復帰を祈りたい。


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