日産自動車のカルロス・ゴーン前会長が、自身の役員報酬を有価証券報告書に実際より少なく記載していたという容疑で逮捕されました。年間20億円程度の報酬を受け取っていたようですが、平成22年に1億円以上の役員報酬の開示義務が課された以降の報酬は年間10億円前後と公表されていました。
しかし、その差額を退任後にコンサルタント料などの名目で受け取ることになっていて、その総額が50億円前後あり、確定した報酬は退任後であっても報告書に記載しなければならないことに違反した容疑とのことです。
■高額すぎる報酬への批判
ゴーン氏については、以前から高額報酬に関する批判があり、私も含めた多くの庶民からすると、あまりに桁が違い過ぎて、「そんなに高額な報酬を不正かもしれない手段を使ってでも手にしたい」という感覚がよくわかりませんが、ご自身は「妥当な金額」と思われているようですし、日本の役員報酬は世界水準から見て非常に低いという話も耳にします。
実際に調べてみると、今年の「役員四季報」から見たランキングでは、トップが27億円、以下24億、20億と続き、10位あたりでは10億前後となっていますので、かつて社員の10倍くらいが相場と言われた頃に比べれば、ずいぶん高額になっています。
それでも世界に目を向けると、トップは500億超、100億以上はざらにいるので、それと比較すればまだまだ低いということでしょう。そのせいで優秀な経営人材が日本に集まりにくいと指摘する人もいます。
■日本の経営者は世界のプロ経営者と同等か?
ただ、私は日本の経営者の「報酬が低い」という声には違和感を持ちます。日本の場合、社員からつながった最高位が社長であることが多く、生え抜きでその会社しか知らない経営者が、果たして海外のプロ経営者と同レベルかというと、そうは言えないことが多々あると思われるのです。
役員報酬の決め方というのは、情報開示の義務、支払方法や金額による税制上の有利不利、社員や投資家からの監視の目などはありますが、大ざっぱに言うと、株主総会で認められさえすれば、ほぼその会社の自由に決められます。もちろん総会で認められるためには、相応の根拠が必要ですが、経営者が株の大半を持っているオーナー企業などでは、ほとんど自分の判断だけで自分の報酬が決められます。
この「自分の報酬を自分で決める」というのは、誰にとっても実はなかなか難しいことです。
「自分の給料が安すぎる」とは言う人はいても「高すぎる」と言う人はほとんどいませんが、これは経営者であっても同じです。また、高いか安いかの基準は、客観的な金額がいくらかというよりは、「今もらっている金額」が前提となって、それを起点にした主観的なものです。
例えば、年収1000万円はそれなりに高額所得者だと思いますが、本人がそれを「もらい過ぎ」と思うことはほとんどありません。「自分の仕事レベルからすれば当然」もしくは「もっともらっても良い」と思う人の方が多いでしょう。これは年収500億円の経営者であっても、同じ感覚ではないでしょうか。
格差が開くのは、自由市場の資本主義では避けられないことだといわれますが、私はついつい「20億円もあったら、年収500万の人の給料400人分になる」などと考えてしまいます。
■億単位の報酬に見合う価値を生み出しているか?
年収20億の本人は「その金額に見合う価値を生み出している」などというのでしょうが、私はどんなに優秀な人であっても、本当に一人の人間が400人分の仕事以上のことができるのだろうかと、つい疑問に思ってしまいます。
一人分の報酬で400人の人間が平均以上の平穏な生活ができる訳ですが、会社再建の一環で社員からその生活を奪った人が、結果的には搾取したかのような形で、高額報酬を得ていることへの反感もあります。
あるNGO団体の報告書によれば、「世界の富の82%は1%の富裕層に集中している」とあり、それは「トップ62人の大富豪が、全人類の下位半分である36億人と同額の資産を持っている」ことになるそうです。ちなみにマイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏の全財産を使えば、1億3000万人の貧困層を1年間養うことができるそうです。
私は「世界水準の役員報酬」の方が、よほど異様に思えます。こういう格差が、本当に人類の繁栄につながっていくのでしょうか。