平成時代を当時の新語・流行語で振り返るコラムをお届けします。今回は「1994年(平成6年)」編です。
94年と言えば政界で3人の首相が登場(細川護煕→羽田孜→村山富市)。日本初の女性宇宙飛行士となった向井千秋さんも話題になりました。大阪では関西国際空港が開港。前年の冷夏とは打って変わった猛暑で、全国的な水不足に悩まされた年でもありました。
■【援助交際】小遣い欲しさの軽い気持ちで…
「援助交際」(援交)が最初に話題になったのがこの年でした。援交とは女子中高生が個人的に接触した男性を相手に金銭を対価として肉体関係などを提供する行為のこと。つまり個人営業の売春を婉曲的に言い換えた表現です。小遣い欲しさなどの軽い気持ちで事に及ぶ当事者も多く、当時の大人たちは衝撃を受けたものです。
この時代、援交における主要な接触手段は、街角での出会いや電話でした。電話ではテレホンクラブ(テレクラ、個室内の男性に女性からの電話を取り次ぐサービス)、伝言ダイヤル(音声メッセージの録音・再生サービス)、ダイヤルQ2(音声情報を提供する課金サービス。出会い系のサービスもあった)が出会いの場として機能したほか、当時若者に流行していたポケベル(小型の無線呼び出し機)も利用されました。やがてこれらの手段はPHS・携帯電話・スマホに移行していきます。
のちの出会い系サイトでは、1万円札を意味する「諭吉」、援助をさらに言い換えた「サポート」「サポ」「わりきり」などの隠語も登場しました。さらに近年では女性が愛人としての活動を行う「パパ活」も話題ですね。これも援交と似た背景を持った婉曲表現かもしれません。
■【平成コメ騒動】大正ではなく平成のお話
本来、米騒動とは米価高騰を背景とする暴動のこと。1918年(大正7年)に富山県から全国に広まった騒動が有名です。このことは若い人でも教科書的な知識として知っていることでしょう。しかし米騒動は平成にも起こっていたのです。
発端は93年の冷夏。その影響で米が凶作となり、同年秋から国産米の備蓄量が不足したのです。そして94年の初頭、一部消費者が米を買いだめるようになり、小売店から米が消えはじめました。ここに始まる社会的混乱を、俗に「平成コメ騒動」と呼びます。大きな暴動こそなかったものの、米屋の前で客同士が小競り合いしたり、名物経営者がヤミ米を販売したりなどの騒ぎも起こりました。
食糧庁(当時)は国内消費量の4分の1にあたる外国産米を輸入して事態の沈静化にあたりました。しかし輸入米の多くは、俗に「タイ米」と呼ばれた、タイ産のインディカ米(カレーなどに合う長粒種のお米)だったのです。これが多くの消費者に不評でした。食糧庁が国産米との「ブレンド販売」を指導すると、抱き合わせ商法として批判されました。
結局、米不足の問題は早場米が出回る初秋には鎮静。しかし緊急輸入の影響でタイでは米価が高騰。一方で、余ったタイ米が廃棄される問題も起こりました。平成コメ騒動は、タイから受けた恩を仇で返した出来事だったのです。
※ほかにもこんな新語が……
新語・流行語:渋谷系、同情するなら金をくれ(ドラマ「家なき子」より)、すったもんだがありました(宮沢りえが出演CMで)、うっそー・やっだー・信じられなーい、不惜身命(貴乃花の横綱昇進で)、価格破壊、振り子打法(イチロー)、マーフィーの法則、バカップル(ワイドショーで話題になった芸能人カップルを指して)
商品・サービス・コンテンツ:プレイステーション、セガサターン、マディソン郡の橋(小説、和訳発売は93年)
■【まとめ】形を変えて社会問題となり続ける「援助交際」
1996年に『援助交際~女子中高生の危険な放課後』と題する本が話題になりました(黒沼克史著、文藝春秋)。その本にいわく「最新の情報ツールを利用する側にその気があれば、電波の届く場所はどこでもテレクラになりうる」とあります。これは当時のポケベルなどを指して述べた文章でした。しかし現代の視点ではSNSを語っているようにも見えますね。人をマッチングする通信サービスの萌芽は、80年代のテレクラや、90年代のダイヤルQ2などに見ることができます。そして、その種のツールは現在でもアプリなどの形で生き続けており、援助交際という社会問題も生き続けているのです。