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戦争を知らない私たちが、戦争の惨禍を伝え継ぐ。80年前の「白骨街道」を歩く210キロの挑戦



日本国憲法が掲げた「戦争の惨禍を再び起こさない」という決意。その意味を、私たちはどれだけ理解しているだろうか。「戦争を知らない世代が、戦争を語る」。それは、決して簡単なことではない。




銃声を聞いたこともない。空襲の恐怖も、食べるものがなくなる苦しみも、家族や友人が戦場から帰ってこない悲しみも、実体験としては知らない。しかし、戦争を経験していないからといって、戦争について語る責任までなくなるわけではない。むしろ、戦争を直接知る人が少なくなっていく今だからこそ、私たちの世代が歴史を学び、記録し、次の世代へ伝えていかなければならないのではないだろうか。




そんな思いを形にしようとしている人がいる。写真家の武馬怜子さんだ。




武馬さんが挑むのは、太平洋戦争末期の1944年に行われたインパール作戦。その撤退路のひとつとされる道を、自らの足でたどる約210キロの徒歩踏査である。




目指すのは、かつて日本兵たちが命をかけて歩いた道を記録し、そこに残された戦争の記憶を未来へつなぐことだ。




日本国憲法に刻まれた「戦争の惨禍」という言葉




日本国憲法の前文には、次の一節がある。




『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し』




これは、戦争によって多くの命が奪われ、生活が破壊され、人々の人生が取り返しのつかない形で失われた歴史を踏まえた決意である。私たちは、この言葉を学校で学んできた。しかし、「戦争の惨禍」とは、具体的に何を意味するのだろう。それは、教科書に書かれた死者の数だけではない。




愛する家族と二度と会えなくなること。
帰る場所を失うこと。
見知らぬ土地で命を落とし、故郷に帰ることさえかなわなくなること。
そして、残された家族が、いつまでも帰らない人を待ち続けること。




戦争とは、国と国との戦闘という言葉だけでは語り尽くせない、一人ひとりの人生を奪う出来事なのだ。




憲法に記された「戦争の惨禍」という言葉を、本当の意味で理解するためには、そこで何が起き、誰が何を失ったのかを知る必要がある。




今回のプロジェクトは、その問いと向き合うための旅でもある。




ミャンマー・チン州の旧日本軍が歩いた道(2019年)





3万人以上が命を落としたインパール作戦




1944年、日本軍はインド北東部のインパール攻略を目指し、大規模な軍事作戦を開始した。作戦の舞台となったのは、現在のインド北東部マニプール州やナガランド州、そしてミャンマーとの国境に広がる山岳地帯だ。険しい山々、密林、限られた補給路。十分な食料や医薬品を確保できないまま、8万人以上の兵士が戦場へ送り込まれた。




1944年当時、英印軍と日本軍が死闘を繰り広げた丘。通称テニスコート(2023年・コヒマ)





作戦は失敗に終わり、日本軍は撤退を余儀なくされた。




その過程で、多くの兵士が戦闘だけでなく、飢えや病気、疲労によって命を落とした。撤退する兵士たちが歩いた道には、亡くなった兵士の遺体が残され、その悲惨な光景から「白骨街道」と呼ばれるようになった。そこにあったのは、作戦の成否という軍事的な記録だけではない。生きて帰りたかった人々の姿であり、最後まで家族のもとへ戻ろうとした人々の人生だった。




その道を、80年以上が経過した今、もう一度歩こうとしているのが武馬さんである。




なぜ、今あえてその道を歩くのか




今回の計画は、インド北東部のコヒマからウクルルまで、およそ210キロを徒歩で踏査するものだ。




白骨街道には旧日本軍の痕跡がいろいろな場所に点在する(2019年)





ミャンマー北西部チン州で見つかった旧日本軍の遺品(2019年)





武馬さんは2014年からミャンマーやインド北東部で取材を続け、インパール作戦に関係する旧日本軍の足跡や戦争の痕跡を調査・撮影してきた。現地の人々との交流も重ねながら、戦争の記憶を記録し続けている。




今回、車で通り過ぎるのではなく、自分の足で歩くことにこだわるのには理由がある。地図の上では一本の線に見える道も、実際に歩けば、その険しさや距離、土地の環境を身体で感じることができる。当時の兵士たちは、どのような地形を進んだのか。どれほどの距離を歩かなければならなかったのか。どんな環境の中で、命をつないでいたのか。




もちろん、現代の私たちが同じ道を歩いたとしても、当時の兵士たちの苦しみを完全に理解することはできない。




しかし、現地に立ち、道を歩き、資料と照らし合わせることで、文字や数字だけでは見えなかった歴史の一面に近づくことはできる。そして、その記録を残すことが、戦争を知らない世代にできる一つの継承の形なのだ。




戦争を知らない世代に、伝える責任がある




戦争体験者が少なくなっている。実際に戦場へ行った人、空襲を経験した人、戦争によって家族を失った人たちから、直接話を聞ける機会は年々限られてきている。やがて、戦争を語る人の多くが、戦争を経験していない世代になるだろう。




そのとき、私たちは何を語るのだろう。歴史を知らないまま、過去の出来事を遠い時代の話として片づけてしまうのか。それとも、残された資料を読み、現地を訪れ、証言に耳を傾け、自分たちの言葉で次の世代に伝えていくのか。




戦争を知らないことは、恥ずべきことではない。私たちは戦争のない時代に生まれたからだ。しかし、知らないままでいることと、知ろうとしないことは違う。戦争の記憶を受け継ぐということは、過去を美化することでも、誰かを一方的に責めることでもない。何が起きたのかを正確に知り、犠牲になった人々の人生に思いを寄せ、同じような悲劇を繰り返さないために考え続けることだ。それこそが、戦争を知らない私たちにできることではないだろうか。




過去をたどることは、今と未来を考えること




今、世界では各地で武力紛争が続いている。日本でも、安全保障や防衛、憲法をめぐる議論が続いている。こうした問題は、決して私たちの暮らしと無関係ではない。




80年以上前のインパール作戦で起きた悲劇も、単なる過去の出来事として片づけることはできない。戦場に送られた兵士にも、帰りを待つ家族にも、そこで暮らす人々にも、それぞれの人生があった。




インパール作戦に参加した兵士が家族に宛てた手紙(2021年)





日本国憲法の前文に記された「再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という決意は、過去の時代にだけ向けられた言葉ではない。今を生きる私たちにも、その意味を問い続けることが求められている。




武馬さんが歩く210キロは、単なる歴史調査の道のりではない。80年以上前に命を落とした人々の足跡をたどり、戦争の現実を知り、未来へ伝えるための道のりでもある。




この記憶を、次の世代へつなぐために




今回のプロジェクトでは、徒歩踏査で得られた写真や現地の記録、証言などを、展示やフォトエッセイ、ルポルタージュとして発信することを目指している。また、現地の地形や旧日本軍の移動経路を記録することで、今後の調査や戦没者の遺骨収集にもつながる資料を残そうとしている。




その実現に向けて、READYFORでクラウドファンディングに挑戦している。目標金額は100万円。




現地での安全確保や宿泊、協力スタッフへの謝礼、車両の手配など、210キロの踏査には多くの準備と費用が必要になる。また物価高や円安の影響は海外取材をする写真家には大きな足かせになる。一人の写真家だけでは実現が難しいからこそ、多くの人の力を借りて、この記録を未来に残そうとしている。




支援することだけが応援ではない。この活動を知ること。記事を読むこと。家族や友人に伝えること。そして、戦争について少しでも考えてみること。その一つひとつが、記憶をつないでいく力になる。




戦争を知らない私たちが、戦争の惨禍を伝え継ぐ。それは、過去の犠牲者に思いを寄せることであると同時に、これから生まれてくる世代に対する責任でもある。




忘れないために。知らないままで終わらせないために。そして、同じ悲しみを未来に繰り返さないために。この210キロの挑戦を、一人でも多くの人に知ってほしい。




白骨街道に咲く日本の桜に似た花。彼らもこの花を見ただろうか(2019年・ミャンマー)



【プロジェクトへの詳細・参加方法】
「インパール作戦 日本軍が歩いた白骨街道を歩きなおす1カ月」
実行者:武馬怜子さん(写真家)
目標金額:100万円


クラウドファンディングの詳細・支援方法はこちら
https://readyfor.jp/projects/battle-of-Imphal-project




戦争を知らない世代だからこそ、伝えられることがある。この旅が、過去を知り、今を考え、未来を守るための小さな一歩になることを願いたい。



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