
俳優石田純一(72)が13日、生島ヒロシ(75)進行の文化放送「生島ヒロシの日曜9時ですよ~」(日曜午前9時)にゲスト出演した。
バブル期には最高年収5億円で総額20億円を稼いだ石田は現在、千葉県船橋市で2023年(令5)5月にオープンした「焼肉 ジュンチャン」を経営している。
石田はコロナ禍にゴルフをし、騒動になったことを振り返って「仕事がカラカラになって、座して死すよりもとなけなしの金をつぎ込んだ。(夫人の)理子には反対されたけど、生きていくためにはしょうがないと。『時期尚早でしょ、待って』と言われたけど、いくつまで待てばいいんだと」と振り返った。
昨年10月には東京・広尾にフレンチレストラン「MILO」を出店した。「どこにも案内を出していません。この年齢だから好きなことをやろうと思ってやりました」と話した。
生島は石田の人生を「常に順風満帆じゃなかった。ドーンと落ちることもあった」。石田は「9年間、売れなかった」と俳優人生をたどった。「舞台俳優からですから。新劇で1カ月公演7000円とか、そんなもん。1回300円ですから。セリフのない役ですからね。時間がかかった。人生、失敗したかと思いました」。
16年(平28)には都知事選への出馬騒動を起こした。「ギリギリまで考えました。メディア、CMに出たらダメということで、出られなかった」。騒動でCMや番組が差し替えになり、違約金が発生した。「何億とか大変でした」と話した。
昨年1月から今年3月まで、コンプライアンス(法令順守)問題で芸能活動を休止した生島は「僕も今回、1年2カ月、いろいろ考えさせられた。このまま行けると思っていたのがとんでしまった。お金と老後について考えさせられた」と振り返った。
石田は、22年7月に凶弾に倒れて67歳で亡くなった安倍晋三元首相との交流を「28歳から友達だった。『29年会』とか『午(うま)年の会』とか作ってね。政治信条は違うけど、仲がよかった」。安倍元首相が93年に初めて衆院選に立候補した時は応援にいった。「『(外務大臣だった)安倍晋太郎さんの息子が落ちるわけないだろう』って言ったんだけど、来てくださいって言われてね。クローズドの婦人会でキャキャー言われてました(笑い)」と明かした。
生島は「トレンディーと言われましたが、山あり谷ありでたくましく生きてきましたね」。石田は「たたかれて、順風満帆じゃなかった。でも、必要以上に落ち込まなかった。90歳くらいまで生きた人に聞くと『たいしたことない。いろいろあっても、全部OK』と。70歳を過ぎて、そういう心境になってきた。岩城滉一さんからは『いい時なんか、そんなにないんだから。全てを楽しみなさい』って言われました。芸能界を生きていく支えの言葉になりました」。
生島は「石田純一の情熱はたぎることがない。お互い、生涯現役で頑張りましょう。冷えはよくないので、そろそろ靴下はいたら」。石田は「そうかもしれない」と笑った。
