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元宝塚トップスター湖月わたる、宝塚面接で「周りはかわいらしいワンピースで、私だけ制服」


【写真】森田健作(左)と湖月わたる

元宝塚歌星組トップスターの湖月わたるが、5日、12日にBS日テレのトーク番組「森田健作アワー 人生ケンサク窓」(土曜午前9時)に出演する。

このほど、都内で収録が行われ、ホストの俳優森田健作(76)を相手に人生を振り返った。湖月は1987年(昭62)に宝塚音楽学校に入学して、89年(平元)に宝塚入団。03年に星組トップスターに就任して、06年に退団した。その後は舞台を中心に活動しながらダンス、歌、英語の人レッスンを重ねて、15年のブロードウェーミュージカル「シカゴ」来日公演では、日本人女性キャストとして唯一の出演を果たした。

収録で湖月と対面した森田は、開口一番に「やっぱりオーラがありますね。その昔、宝塚音楽学校の近くに映画の撮影所があってね。そこの食堂にいると、スラッとした背の高い女性が来るんですよ。とにかく礼儀正しかったんです。今回は改めてタカラジェンヌの苦楽について聞きたい」と話した。

湖月が宝塚歌劇団に憧れたのは小学4年生の時だった。埼玉県入間市の出身で、地元のテレビ埼玉で早朝に放送されていた宝塚の舞台を目にしたことがきっかけだった。「『友よこの胸に熱き涙を』というミュージカルを見た途端に心を鷲掴みにされました。一気に宝塚に夢中になりました」。

小学5年の夏休みには東京宝塚劇場で麻実れい主演の「ジャワの踊り子」を観劇。「将来、私も必ずこの舞台に立つ」と心に誓った。それからはバレエに打ち込みながら、宝塚の舞台やテレビ放送を見る日々となった。中学3年の時の宝塚音楽学校受験では、当日のくじ引きで1次試験の受験番号が「1番」。面接とバレエ、新曲歌唱に臨み、「オー・ソレ・ミオ」を歌った。周囲の受験生に圧倒されて「自分のことより『みんなすごいな』という記憶しかないです。でも2次試験でも、くじで引いた番号が1番でした。面接では、周りはかわいらしいワンピース姿ばかりだったんですが、私だけ制服姿でした」と明かした。

面接で「落ちたらどうするか」との質問には「高校に3年間通って、気持ちが変わらなければ再び受験します」と答えたという。「受けないという選択肢はありませんでした。高校の受験は私立に全て不合格でしたが、2人の兄につきっきりで勉強を教えてもらって、県立高校にギリギリで受かっていました」と振り返った。

湖月は「人生を支えた1曲」として、AIの「Story」を挙げた。宝塚退団を意識し始めた時期に歌詞と自身の気持ちが重なった。限られた時間の中でファンのために何ができるのかを考え、退団前のリサイタルでも歌った。「ファンの皆様と思いを共有できました。今でも、ステージで歌い続けています」と話した。

11月には、宝塚歌劇団退団20周年記念公演「TUMBLEWEED(タンブルウィード)」を開催。タイトルの「TUMBLEWEED=風に吹かれて身を任せる人生」に込めた思いは、湖月の人生観そのものだ。「明確に『ここへ向かう』と決めるより、気づけばここにいたという生き方をしたいと思います。割と自分自身を信用しない性格なんです(笑い)。これからの人生がどうなっていくのか、どんな夢に出会えるのかが楽しみです」と笑顔を見せた。

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