
藤原竜也(43)が15日、東京・丸の内TOEIで行われた同館の閉館プロジェクト「さよなら丸の内TOEI」の一環として行われた、
2000年(平12)の主演映画「バトル・ロワイアル」上映前舞台あいさつに、深作欣二監督の1人息子で脚本、プロデューサーを務めた健太氏(52)と登壇した。
「バトル・ロワイアル」は、99年に刊行された高見広春氏の同名小説の実写化作品。中学生同士が殺し合いをする内容で、少年犯罪の助長や青少年への悪影響があると国会議員による上映規制運動が展開。00年11月17日の国会・文教委員会で文部大臣にこの映画に対する政府の見解が問われるなど社会問題となった。
そうした作品性からか、約30分間の舞台あいさつ中に展開されたエピソードトークは、現代のコンプライアンス的にはアウトの話題が相次いだ。藤原は「これは、ですね…書いちゃダメなんですけど」と、集まった取材陣に異例の“お願い”。ロケの合間の、深作監督やスタッフの、荒々しい言動に関し、ひとくだり話した後に「すごい時代というか、すごい人だなと…ウソです」と言い、笑った。
過酷な撮影場所についても語った。藤原は、当時15歳だった前田亜季(40)と共演した、海の近くの洞窟のシーンを振り返り「よく、ここで撮影するなと…今なら考えられない。こっちで岩が崩れ落ちて、あっちから崩れて…心配していました。今ならダメですね」と語った。
撮影当時は18歳だったが、爆破が絡んだアクションシーンにも挑んだ。藤原は「映画というものを、そんなに理解していなかったので、そういうもんなんだと。監督が『やれ』と言うから、やっていた」と笑いながら振り返った。深作氏から「スタントマンの方が入ると思った。竜也君も自分でやりたいと直訴していた」と指摘されたが「会社(所属事務所のホリプロ)も、ここまでというのは想像していなかったのではないのかな? 振り返って、よくやれたなと。今なら、できたらアクション部の方にやっていただきたい」と笑いつつ「瞬間、瞬間を生きさせて、体験させてもらった感じ」と感謝した。
深作氏は、当時70歳だった父の欣二監督がNGを多く出したことについて聞かれ「(若い俳優と)別れたくないから、オヤジがNGを出した」と説明。八丈島での打ち上げでは「70歳のオヤジが心臓まひで死んだら、どうしようと思ったら、最後にプールに飛び込み、ホテルの人に怒られた」と笑いながら振り返った。同監督は03年1月に亡くなったが、深作氏は「最後、ガンを患っていた。僕たちは最後、ゆかりのある大人の俳優とやって欲しかったけれど、最後に若い俳優を選んだ。それが深作欣二の生き方だった」と語った。
藤原は「深作組は、八丈島で夜、ずっと宴会をしていた。(日本映画の)良い時代の、最後を見させていただいた」とも語った。