
演出家の宮本亞門氏(67)が98年の「BEAT」以来、約30年ぶりに映画監督を務めた短編映画「生きがい IKIGAI」公開記念舞台あいさつが12日、都内のシネスイッチ銀座で行われた。主演の鹿賀丈史(74)は、セリフが「人生の中で1番、少ない映画だと思った」と口にして、客席を笑わせた。
「生きがい IKIGAI」は、24年1月1日にマグニチュード7・6、最大震度7の能登半島地震、さらに8カ月半後の同9月21日に豪雨と、2度の甚大な災害に見舞われた能登でのボランティア活動で、想像を超える被害と復興の遅れを目の当たりにし、地元の人々の声を聞き、言葉に触れ、復興の思いを募らせ企画・脚本のみならず、監督してメガホンを取った短編映画。
石川県出身の鹿賀と、15年のNHK連続テレビ小説「まれ」で能登と縁ができた常盤貴子(53)が出演。鹿賀は崩壊した家の中から救出された元教師の「黒鬼」こと山本信三、常盤は妻の美智子を演じた。
宮本監督は「ボランティアで物を運んでいたら『物を運んだりしなくていい。伝えて欲しい』と言われ『僕は舞台なので…できません』とか言ったら土砂災害が起きた」と当時を振り返った。そして「居たたまれなくなって、友人のプロデューサーに、あの景色…生々しいところも撮って、人がどう生きるか撮りたいと」と、映画化を決意した心中を明かした。
鹿賀が演じる黒鬼は、避難所になじむことができなず、崩壊した自宅の一角で暮らし始める。
宮本監督は「空き地になっちゃうと、なかなか語っても想像できない現実がある。セットはなし。被災した家、景色で撮影した。崩壊しないようにし、穴は空かないようにした」と、被災した家屋を借りて撮影したと説明した。
鹿賀は、スタッフが「ヘルメットを着けて撮影した」と振り返った。そして「全壊しているお家の前を通り(役として)住んだ家も半壊。変に細かい芝居よりも、気持ちがあれば大丈夫」と役作りを思い起こした。
常盤は「3月に『まれ』で知り合った方と入った。フェイズがあり(被災者は)仮設住宅に入れた頃で生きがいを見つけ始めていた」とボランティアで現地入りした当時を振り返った。そして「映画の撮影が行われていることが、希望になるんじゃないか…とボランティアに行っている時、思った。宮本監督の思いをつなげたいと思って参加しました」とオファーを受けた思いを語った。
舞台あいさつの最後に、宮本監督は「新たな小さなスタート…能登の方がスタートしているのを見て元気になった。何かの形で映画を作り続けたい。日本が元気になって欲しい」と呼びかけた。
これに、常磐は「映画ができたことで、能登を知っていただく、きっかけになったと思う。震災より、能登を伝える映画。ボランティアの方も『気持ちを代弁した』と言ってくれた。被災して戻れない方もたくさんいる。映画で感じていただけると思う」と続いた。
そして、鹿賀は「能登の、珠洲というところは道が1本しかない。復興が、うまくいかない。映画で復興の手が伸びれば…久々に心の中に残る映画に参加できた」と感慨深げに語った。
「生きがい IKIGAI」は、ドキュメンタリー「能登の声 The Voice of NOTO」(塚旬子監督)と併映し、フィクションとノンフィクションを同時に体感することで、2度の災害に苦しむ能登の今を知り、思いをはせることが能登の未来への一歩に〓(繋の車の下に凵)がってほしいという願いから生まれたプロジェクトで、6月20日に石川県で先行公開された。映画の収益の一部は北陸能登の被災地の復興支援にあてられる。
◆「生きがい IKIGAI」石川県能登の山奥。土砂災害の被災現場で、崩壊した家の下から一人の男が救出された。見守っていた人々から声をかけられるも、元教師で「黒鬼」と呼ばれる山本信三(鹿賀丈史)は鋭い眼光を残し、去っていく。
避難所になじむことができない黒鬼は、崩壊した自宅の一角で暮らし始める。ある日、被災地ボランティアたちが黒鬼の自宅の片づけの手伝いに訪れた。壊れていたり汚れて使えなくなったものを処分していくボランティアたちだったが、あるものを捨てようとして激怒した黒鬼に追い出されてしまう。ボランティアが捨てようとしたのは、黒鬼にとって、唯一の理解者であり、今は亡き妻の形見の茶わんだった。
後日、亡き妻のことを知ったボランティアの青年が再び黒鬼の元を訪れる。彼もまた、大切な人を亡くしており「自分と同じだ」と、黒鬼に心のうちを語りかける。青年の話を聞いた黒鬼は、被災にあい倒壊した家に閉じ込められていた間のことを話し始めた。