
<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム>
オダギリジョー(49)が5日、都内で行われた主演映画「夏の砂の上」(玉田真也監督)公開記念舞台あいさつで語った日本映画の現状に対する発言に、映画記者として感じるものがあった。オダギリは、共同プロデューサーも務める立場から「こういうミニシアター系の映画って最近、なかなか作るのが難しいので、こういう作品こそ映画館で見てもらって、成功することが次にも繋がっていくので」と観客に呼びかけた。
そして「メジャーだけ残るとね…ちょっと、寂しいことになりますよ。なので、皆さん、応援して下さい」と続けた。穏やかな口調で、笑みを交えて語ったからか客席からは笑いも起きたが、記者は笑えなかった。大手シネコンチェーンから小さな単館系まで連日、劇場を回り大小、ジャンルを問わず映画を取材し続ける中で目の当たりにしている現実を、平易な言葉で一般の観客に伝えたオダギリの姿に、映画を専門に取材する側として、もっと発信しなければと思わされた。それが、この原稿を書き出した理由だ。
「夏の砂の上」は、劇作家・演出家の松田正隆氏の読売文学賞戯曲・シナリオ賞受賞作を、演劇ユニット「玉田企画」を率いる玉田監督が脚本も手がけて映画化。オダギリは、5歳の息子を亡くした喪失感から人生の時間が止まり、働いていた造船所もつぶれ、幽霊のように漂い続ける小浦治を演じた。妻の恵子(松たか子)とは別居中で、造船所の同僚だった陣野(森山直太朗)と恵子が関係を持っていることに気づかないふりを続ける中、妹阿佐子(満島ひかり)が博多の男の元へ行くために17歳の娘・優子(髙石あかり)を預けに来る。父の愛を知らずに育った、めい優子との共同生活を描いた。
オダギリは、舞台あいさつの最後、唐突に「『ババンババンバンバンパイア』も見て下さい」と、公開日が同日だった吉沢亮(31)の主演映画「ババンババンバンバンパイア」(浜崎慎治監督)の名を挙げて客席を笑わせた。さらに「いろいろな映画が世の中にはありますけど、向こうも良いし、こちらも良いし、ということで。いろいろな幅の広さというか、土壌の豊かさみたいなのが(映画、映画界には)必要だと思うので…文化として。そういう意味でも、この映画も、それなりに(観客に)入ってもらう、と」と続けた。
「ババンババンバンバンパイア」の配給は、オダギリが口にした「メジャー」の一角・松竹で、全国341館で公開された。一方「夏の砂の上」の配給は中堅のアスミック・エースで、公開館数は173館。「ババンババンバンバンパイア」の約半分だが、日本国内で1年間で公開される約1200本の中では、決して公開規模が小さいとは言えない。
ただ、オダギリが「メジャーだけ残るとね…ちょっと、寂しいことになりますよ」と口にするように、メジャーと言われる映画のほうが長い期間、映画館で上映される可能性が高い現実は、確かにある。漫画誌で連載中の漫画を実写化した「ババンババンバンバンパイア」のようなエンターテインメント作品は、一見して分かりやすく面白そうで、出演する俳優陣の知名度も相まって話題にもなりやすい。その上、公開館数も多いので一定以上の興行収入(興収)が期待でき、狙い通りに稼げば、特にシネコンは複数のスクリーンを開けて、上映を続ける。コロナ禍で緊急事態宣言が発出され、新作の公開延期も相次いだ20年10月16日に、全国430館という異例の規模で封切られ、興収403億3000万円の日本歴代最高興収を記録したアニメ映画「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」は、実写ではないが、シネコンの動きを示す顕著な例だろう。
一方で「夏の砂の上」のように作家性、芸術性を重視したアート系の作品は、オダギリはじめ、25年秋放送のNHK連続テレビ小説「ばけばけ」のヒロインに決まっている髙石あかり(22)ら人気の俳優陣が出演も、あらすじを一読して即、イメージが脳裏に浮かぶような分かりやすさは、まずない。観客にとって足を運ぶのに、ややハードルが高いのは事実だろう。
オダギリは「ミニシアター系の映画って最近、なかなか作るのが難しい」と口にしたが、シネコンにおいては興収が上がらなければ公開1、2週の作品も次々、終映に追い込まれている。エンタメ系の大作、人気作が鑑賞しやすい時間帯に上映が組まれているケースが多い一方、ミニシアター系の作品は午前やレイトといった鑑賞において不利な時間に上映が組まれていることも少なくなく、興収が上がらず、終映となっているケースも見受けられる。結果が出なければ、その後もその手の作品を作りたくて、いくら企画を出しても通らない。昨今、製作関係者から、著名な漫画や小説などの原作がなく、監督や製作陣が脚本を1から作るオリジナル企画が「とにかく通らない」との嘆き節を聞く。作家が自らの色を出せる、作家性の高い映画こそ作りにくくなっている現実を、オダギリは分かりやすい言葉で観客に示した。
一方で、オダギリは「言い方、難しいんですけど、メジャーでエンタメの作品って、なかなか海外の映画祭には行けないんですよ」と、メジャーのエンタメ系映画にも難しい面はあると指摘した。エンタメ系の映画と言えば、米ハリウッドでは巨費を投じ、最先端の映像技術を駆使した大作が次々と作られている。
24年に「ゴジラ-1.0」(山崎貴監督)が、第96回米アカデミー賞でアジア初の視覚効果賞を受賞したが、23年12月に北米で公開される前から、米国では考えられないほど安い製作費で抜きんでた映像を作ったことが現地で驚きを持って受け止められ、話題を呼んでいたのも事実。その点においても、エンタメ系の邦画が米アカデミー賞でオスカーを獲得したことは、日本映画史に、さん然と輝く快挙だったと言えよう。
さらに、オダギリは「そうなると、やっぱり海外から『最近、日本映画はなかなか来ないね、面白いのが少ないね』みたいなことを言われることがあって」と続けた上で、次のように語った。
「少しでも、こういう作家性や芸術的な作品も海外に届けられるように、これからも作っていけるような土壌の豊かさを持てればと思っています。メジャーなエンタメの映画は海外には行けない。『日本の映画、おもしろいの、少ないね』と言われると、寂しい気持ちになる。作家性、芸術的な作品を送れるような、土壌の豊かさを持てれば良いと思う」
作家性の強いアート系の作品は、カンヌ(フランス)ベルリン(ドイツ)ベネチア(イタリア)の世界3大映画祭をはじめとした、海外の映画祭に出品、招待される可能性があり、そこで高く評価されれば、全世界に羽ばたいていける。21年にカンヌ映画祭で邦画初の脚本賞、翌22年には米アカデミー賞で国際長編映画賞を、それぞれ受賞した、濱口竜介監督(46)の「ドライブ・マイ・カー」は大きな成功例と言っても過言ではないだろう。同監督は、21年に「偶然と想像」がベルリン映画祭(ドイツ)審査員グランプリ(銀熊賞)、23年には「悪は存在しない」でベネチア映画祭(イタリア)審査員グランプリ(銀獅子賞)を受賞し、黒澤明監督以来となる世界3大映画祭とアカデミー賞を合わせた主要4映画賞の完全制覇を、わずか2年半で成し遂げ、世界から高く評価されている。
「夏の砂の上」も、6月に中国で開催された第27回上海映画祭で審査員特別賞を受賞。邦画の受賞は、2002年の「リリイ・シュシュのすべて」(岩井俊二監督)以来23年ぶり2度目だった。俳優としてはもちろん、映画監督としても19年「ある船頭の話」で国内外の賞を受賞しているオダギリにとっても、プロデュース作品が海外の国際映画祭で受賞したのは初めてのことだった。
撮影込みで、わずか30分の舞台あいさつでは、オダギリが冒頭から「昨日? 今日か。何も起きなかったですね」と呼びかけ、会場を笑わせた。1999年に刊行された漫画家たつき諒氏の「私が見た未来」(飛鳥新社)につづられた「本当の大災難は2025年7月にやってくる」などという文言に、世論が反応していることを踏まえ、書名こそ言及しなかったが「みなさん、良かったですね。この舞台あいさつ、中止になるんだろうなと思って…こんなもんですよね」とジョークを口にした。
取材に足を運んだメディアの複数が、この発言をピックアップした。記者も現場からの速報の1本目は、そのことで書いたが、むしろオダギリが本当に伝えたかったことは日本映画の現状、今後についての報告だろうと感じながら、オダギリのジョークを原稿にし、速報として発信していた。
芸能記者として目を引く芸能ネタ、ニュースを出さねばならぬ一方で、映画記者として伝えなければいけない本質的な話も届けたい。しっかり書きたいからこそ長くなってしまうが、こうしたコラムなり企画で、今後も映画を考える一助になるような原稿を書き続けていきたいと考えている。【村上幸将】