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演歌歌手の走裕介、元大関の増位山太志郎さんしのび「番組やイベントにもご一緒したり…」


演歌歌手として知られる元大関の増位山太志郎さんが、肝不全のため76歳で逝去しました。増位山さんは大相撲で、父親と共に史上初の親子大関として昇進し、のちに演歌歌手としても成功。特に「そんな夕子にほれました」や「そんな女のひとりごと」などの楽曲がミリオンヒットとなりました。走裕介さんは自身のブログで増位山さんとの思い出を振り返り、その死を悼んでいます。2012年からは体調を崩しており、療養生活を送っていました。

走裕介(2022年11月撮影)

演歌歌手の走裕介(51)が17日、自身のブログを更新。大相撲の元大関2代目増位山で演歌歌手増位山太志郎としても活躍した沢田昇(さわだ・のぼる)さんの訃報を受け、追悼した。

走は「ビックリしたのですが!!元大関で歌手の増位山太志郎さんが6月15日にご逝去されたと今日報道されておりました 大変残念です」と増位山さんの訃報を受け、悲嘆にくれる様子を見せた。

「船村先生の弟子時代 西大芦漁協の皆様の計らいで『鮎を食べる会』なるイベントがありその会に、何度か増位山さんも参加されていてその際にお話させて頂きました」と生前の交流を明かし「また、増位山さん、そして北の富士さんとのデュエット 船村徹先生の楽曲『水玉のスカーフ/女房に捧ぐ』のレコーディング時、仮唄を入れさせて頂いたり デビューしてからも番組やイベントにもご一緒したりしておりました 心よりご冥福をお祈りいたします」と在りし日を思い、冥福を祈った。

沢田さんは元大関増位山の長男として生まれ、18歳の時に父が師匠だった三保ケ関部屋に入門。同部屋の北の湖とともに1967年初場所初土俵。69年名古屋場所新十両、70年春場所新入幕、73年初場所新三役と出世し、80年初場所後に大関に昇進した。史上初の親子大関として話題になった。

歌手としては25歳だった74年にデビューし、同年発売した3枚目のシングル「そんな夕子にほれました」は120万枚、77年には「そんな女のひとりごと」が130万枚を売り上げるなど、ミリオンヒットを連発した。

15日午後2時38分に肝不全で死去していたことが17日、分かった。所属のゴールデンミュージックが発表した。76歳。2022年12月以降は体調を崩し、療養していた。

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