
86年だから、40年近く前になるが、天才とうたわれた当時21歳のチェロ奏者、カナダのオーフラ・ハーノイのリハーサルに立ち会ったことがある。
チェロは小柄な人間くらいの大きさだから、演奏姿勢はまるでうしろからハグしているように見える。ネック部分で指が微動し、美しい顔には恍惚(こうこつ)の表情が浮かぶ。うっとりと目が離せなかったことを覚えている。以来、チェロ奏者には勝手になまめかしいイメージを抱いている。
「秘顔」(6月20日公開)は、新進指揮者と2人の女性チェロ奏者が織りなす、かなりエロチックなサスペンス・スリラーだ。
公演を前にオーケストラの中心的存在だったチェロ奏者スヨンが姿を消す。彼女は指揮者ソンジンの婚約者でもあった。絶望するソンジンの前に代役候補としてミジュが現れる。突き放すように接するソンジンだが、不思議な魅力にしだいに引かれ、ついにはスヨンと暮らした寝室で関係を結んでしまう。だが、失踪したはずのスヨンが、実は「間近」からのぞいていて…。
エロチックな序盤に息をのみ、中盤以降の謎解きに一気に引き込まれる。さまざまなシチュエーションで「禁断の愛」を描いてきたキム・デウ監督の独壇場だ。
スヨンはオーケストラのオーナーの娘で、本来の指揮者→演奏者とは逆の従属的関係があったこと。音楽学校も別で互いに知り得ないはずのスヨンとミジュの謎のつながり…これ以上の詳述は避けるが、序盤では見えなかったいびつな人間関係がしだいに明かされていく。
そして「変な家」をほうふつとさせるミジュとソンジンの新居の奇妙な間取り-その背景には歴史的因果が絡められ、作品の奥行きと説得力になっている。
デウ監督が操る人間関係と間取りの迷路が先を読ませない。
メインの3人もハマっている。ソンジン役には「情愛中毒」でもデウ監督と組んだソン・スンホン。指揮者のカリスマと人間的脆さ-振幅のある演技だ。
スヨンにはデウ監督3作目のチョ・ヨジョン。令嬢らしいエレガンスと身に着いたわがままがリアルに伝わってくる。
ミジュを演じるのが、役柄同様に新進のパク・ジヒョン。少女のように登場する序盤から、体当たりで「変身」を印象づけ、この作品のエロス部分の大半を引き受けている。
最後の落としどころにも新味があり、隙のないエンタメ作品だ。【相原斎】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「映画な生活」)