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笑福亭枝鶴、先代枝鶴さんが亡くなっていたことを明かす「弟子入りしたことは何の後悔もない」


笑福亭枝鶴は芸歴50年を記念して、大阪市で行われる独演会の取材会に出席し、自身の思いを語った。彼女は5代目枝鶴に入門したが、師匠の失踪癖や廃業に悩まされた。師匠の死去を2018年まで発表しなかった理由は、交流のあった笑福亭仁鶴への配慮からだったという。枝鶴は5代目に復帰を促すも謝罪の拒否により踏みとどまった経緯を明かし、「逃げグセがあった」と振り返る。その一方で、5代目枝鶴に弟子入りしたことに後悔はないとし、枝鶴姓を継いで良かったと述べた。

芸歴50年記念公演を開催する笑福亭枝鶴(撮影・阪口孝志)

落語家笑福亭枝鶴(67)が9日、大阪市のDAIHATSU心斎橋角座で、独演会「芸歴50年記念の会in心斎橋角座」(9月14日、同所)の取材会に出席。師匠で落語家を廃業した5代目笑福亭枝鶴さんが、2018年に亡くなっていたことを明かした。

枝鶴は1975年、5代目枝鶴さんに入門。小つるの名前を与えられたが、5代目枝鶴さんは失踪グセがあり、廃業と復帰を繰り返していたため、84年からは大師匠であり、師匠の父親でもある6代目笑福亭松鶴さんの弟子となった。

5代目枝鶴さんは87年、前年に亡くなった6代目松鶴さんの「追善特別興行」でトリを務める予定だったが失踪。松竹芸能から契約解除、上方落語協会からも除名追放され、落語家を廃業した。

その後、消息不明とされていたが、枝鶴は「2018年1月8日に大正区で亡くなっておりました」と明かした。笑福亭仁鶴さんが傷心することを気遣い、「仁鶴が存命のうちはしまい」と考えていたが、21年に仁鶴さんが亡くなったこともあり、このタイミングで発表することにしたという。

枝鶴は05年ごろに5代目枝鶴さんに会う機会があり、「戻ってきたらどうですか?」と声をかけたこともあったという。帰ってきた言葉は「舞台に上がりたい」。ただ、散々人様に迷惑をかけたという思いがある枝鶴は「それはあきません」と、関係者に謝罪の意を示してから舞台に立つべきと諭したが、5代目枝鶴さんの返事は「そんなんどうでもええねん。舞台に1回上がれたらええねん」。あくまで謝罪を拒否したため、「この人はアカンと思った。芸人としての前に人としてどうやねんと」と復帰を持ちかけることは2度となかった。そして、10年に自身が6代目枝鶴を襲名した。

枝鶴は5代目枝鶴さんの死を知ったとき、「区切りが付いた」と思ったという。

「もうちょっと人様に頭を下げてでも、舞台に立ってほしかった。逃げグセがついてた」と5代目の性格を思いやりながら、「5代目枝鶴に弟子入りしたことは何の後悔もない。枝鶴の弟子でよかった。いなくなったのはつらい」と師匠への思いを口にしていた。

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