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長嶋一茂、父茂雄さんと「真っ暗になるまで」続けた「無言のキャッチボール」の思い出明かす


長嶋一茂さんは、偉大な父である長嶋茂雄さんとの思い出を語る中で、子供の頃に行った「無言のキャッチボール」について触れました。テレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」に出演した一茂さんは、「試練やつらさもあるが、みんな平等に来る」とし、父とのキャッチボールが最大の思い出であったことを明かしました。野球を通じて父と無言で繋がる時間が大切なものであったと振り返っています。父・茂雄さんは89歳で亡くなり、一茂さんは「野球は人生そのもの」と父を偲びつつ、彼の野球に対する情熱が日本のプロ野球界の発展に寄与することを願うコメントを発表しました。

長嶋一茂(2019年10月撮影)

3日に89歳で亡くなった巨人終身名誉監督、長嶋茂雄さんの長男でタレントの長嶋一茂(59)が6日、金曜コメンテーターを務めるテレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」(月~金曜午前8時)に生出演。茂雄さんとの思い出を振り返る中で、幼少時に「2時間でも3時間でも」続けたという「無言のキャッチボール」について明かした。

一茂は、レギュラーコメンテーターの元テレビ朝日社員、玉川徹氏に「ずっと気になっていて聞けなかったことがある」と切り出され「長嶋さんは昭和を象徴するスーパースター中のスーパースター。そんな偉大な父を持って生まれてくる息子というのは、うれしいこともあるかもしれないけど、子どものころからかなりつらい部分もあったのでは」と問われた。

この問いかけに一茂は「一概には言えないけれど、試練もつらさも、くやしい時も悲しい時もさみしさも喜んだり楽しめることは、みんな平等に来ると思っている。ぼくのつらさがみなさんと比較してどうかは、お話ししづらい部分もある。玉川さんの身体に入り込めるなら、つらさを自分と比較できるかもしれないけれど…」などと応じつつ「ただ、少し、父親が偉大すぎて、もちろん昭和のスターだし、ほかの方と違う環境ではあったけれど、監督と選手の間、父親と息子の間というところは、そんなに周りの方と差異はないと思いますけれどね」と口にした。

玉川氏が「野球の道を選ばない選択肢もあったと思う」とさらに問うと、一茂は茂雄さんとの「無言のキャッチボール」の思い出を打ち明けた。

「別に、無理やり(野球を)選んだのではなく、自分が好きだから。野球って面白いなと。最初はハンドベースボールから始まって、三角ベースとかが始まって、それで野球に行く。(野球は)面白い、奥深いというものがあった」とした上で「ちょっとの間だったけど、野球の話を父親とできるのが楽しくて。キャッチボールしてくれる時もあって。小学校の時は、忙しかったと思うけれど、真っ暗になるまで、ずっとキャッチボールをやったりした」と振り返った。

玉川氏が「そうなんだ…」と応じると、一茂は「ひとこともしゃべらなかったけれど、キャッチボールだけは父親と1時間でも、2時間でもずっとできた。おれは当時、机に座って勉強なんて1分もできないんだけど、キャッチボールは2時間でも3時間でも、ずっとできた。父親も真っ暗になるまで、ずっと付き合ってくれた」と振り返り「野球を通じて、野球の原点、基礎、基本はキャッチボールだけど、そこを通して父親と会話できたというのが、私の中での最大の思い出。そこは、言葉ではない。ということがあったというのは、胸にずっとしまっておこうかなと思う」と口にした。

茂雄さんは3日午前6時39分、肺炎のため、都内の病院で亡くなった。同日午後に茂雄さんの遺体を乗せたとみられる車が都内の自宅に到着した際、一茂は、次女の三奈さんとともに付き添っていた。

一茂は同日にコメントも発表。「長嶋茂雄の全てのファンの皆様及び、関係者の皆様 父 長嶋茂雄が永眠致しました。父にとって野球は人生そのものであり、最愛の存在でした。長嶋茂雄が野球に捧げた人生の礎を築くことができたのは、ファンの皆様をはじめ野球関係者、スポンサーの皆様の温かいご支援のおかげです。父の野球人生は誰よりも幸せな89年間だったと感じております。長嶋茂雄は野球の星に帰りました…生前、グラウンドで残した沢山の情熱がこれからの日本プロ野球界の発展に少しでも役に立つことを父も願っていたことと思います。長い間、父長嶋茂雄にご声援を頂き本当にありがとうございました」などと報告していた。

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