
漫才コンビ「昭和のいる・こいる」で活躍した漫才師の昭和のいる(本名岡田弘=おかだ・ひろし)さんが24日午後7時45分、肺炎のため都内の病院で死去した。88歳だった。石川県出身。喪主は妻安紀子(あきこ)さん。
この日、ニッポン放送『高田文夫のラジオビバリー昼ズ」(月~金曜午前11時30分)の生放送でパーソナリティーを務めた、放送作家高田文夫氏(76)は「のいるさんが亡くなったのをマネジャーから聞いた。昭和11年(1936年)生まれだから88歳。(立川)談志と同い年だから、結構長生きしたね」と話した。高田氏の落語の師である立川談志は2011年(平23)に75歳で亡くなっている。
のいる・こいるは66年に獅子てんや・瀬戸わんやに入門。ツッコミの、のいるさんの振った話題に相方のこいるさんが「ヘーヘーホーホー」などと早口でいいかげんに応えるやりとりで人気を博した。76年にNHK漫才コンクールで最優秀賞、77年には国立演芸花形新人賞銀獅子賞受賞。74年に真打ち昇進。99年には高田氏の誘いで出演したフジテレビ「初詣!爆笑ヒットパレード」出演をきっかけに還暦を過ぎて大ブレーク。01年には高田が作詞して、大ファンだという玉置浩二(66)が作曲したCDの「そんなもんだよしょうがない」を発売した。
高田氏は番組内で「そんなもんだよ-」をかけて「のいる・こいるが歌っている陽気な歌。寂しいけど……つらいなぁ。うまいんだよ、のいるさんが。歌唱リーダーだったから」と話した。
こいるさんが21年(令3)に前立腺がんで亡くなった後、のいるさんはピンの漫談家として活動。ちょっと似ているアメリカのジョー・バイデン前大統領のものまねに挑戦するなど、最後まで芸人として活躍した。