
シンガー・ソングライターおかゆ(33)が1日、ブログとXを更新し「いつも応援してくださる皆さまへ、大切なお知らせです。2025年5月1日本日 私おかゆは株式会社ゆかプロモーションを設立致しました。これからは、アーティストとしてだけでなく、一人の社長としても歩みを進めていきます」と、個人事務所設立を発表した。前日4月30日に、4年間所属したサンミュージックプロダクションを契約満了で対処していた。
おかゆは「ギター1本を抱えて、ひとりで流しを始めた11年前のあの日から、届けたい…伝えたい思いとギターだけで進んできたこの道が、このような形になりました」と報告。「まだまだ未熟な私ですが、ここまで来られたのはいつもそばで支えてくれたあなたがいたからです。これからも一緒に、たくさんの景色を見ていけますように。そして、音楽でつながる幸せをもっと繋いでいけますように」と抱負をつづった。
おかゆは渋谷に憧れて17歳で上京後、故郷・北海道で、歌手になることを夢見ていた母が事故で他界。「何1つ親孝行できず、亡くなった日の朝の電話も無視した。後悔の念に、すごく包まれて…でも、歌手になりたかった母の夢を、かなえることで恩返しができる」と歌手になることを決意。14年から東京・湯島でスナックや居酒屋を巡り、流しとして客のリクエストに応えて歌い、自身の存在と歌を広めていく活動を始めた。47都道府県全てでの流しと、亡き母の口癖だった「七転び八起き幸せに」を数字に置き換えて、流しで出会った7842人と写真を撮ってブログに上げることを目標に掲げた。19年4月には都道府県全てでの流しを達成し、同5月1日に「ヨコハマ・ヘンリー」でメジャーデビューし、オリコン演歌・歌謡曲チャートで初登場3位を獲得した。
メジャーデビューしたことで多忙になったこと、その後のコロナ禍による飲食店への規制で、約2年にわたって流しをすることもかなわなかったが、10年前の目標に向けて23年から個人でスナックや居酒屋に飛び込み、流しを再開。そして母の命日の24年4月20日に、母にいつも連れられて行っていた北海道・札幌市のスナック「ひろ川」のマスターに向けて流しを行い、7842人目の写真を撮影し、10年越しの目標を達成し「流しのおかゆ」から「アーティストおかゆ」と、新たなステージを歩き始めた。
ゆかプロモーション公式サイトには、企業理念も掲載した。
「音楽は、人の心に寄り添い、時代を超えて繋がる力を持っています。私たちは、昭和歌謡をはじめとした“心のうた”を大切に、音楽を通じて人と人の絆を深め、笑顔が広がる場を創り出していきます。流し文化の継承や発展を軸に、音楽の魅力を日本から世界へと届け、世代や国境を越えて愛される“音楽の温もり”を発信し続けます。すべては、出会ってくれた人たちへの感謝を胸に--。」
おかゆは6月18日に新曲「ジモンジトウ」を発売する。