
誰もが見覚えのある手配写真の男-。半世紀に及ぶ逃走を続けた桐島聡が昨年1月、末期がんの病床で実名を明かし、亡くなった。
謎の多い逃亡の日々を描く「逃走」(足立正生監督、3月15日公開)で桐島を演じた個性派、古舘寛治(56)に聞いた。【相原斎】
◇ ◇ ◇
大学在学中に過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバーとなった桐島は、連続企業爆破事件に関与し、21歳の時に全国指名手配された。
「他の多くの俳優は断りそうな題材ですよね。僕もお断りしようと思ったのですが、(監督の)足立正生さんがすごく魅力的な人だし、いただいた台本も面白かった」
手配写真によって顔は知られているが、前科がなく、慎重だった桐島の行動はほとんど分かっていない。解体業者を転々とし、後半生は「内田洋」と名乗った。月1回程度訪れる神奈川県藤沢市内のバーでは「うーやん」と呼ばれていた。20歳下の女性と交際し、結婚を考えたこともあったという。
「桐島さんのことを詳しく書いたものがあるわけではなく、どちらかといえば(パレスチナ解放戦線、日本赤軍の元メンバーである)足立監督が自分の人生を半分投影しているのだろうと思います。実在の桐島さんというよりは、足立さんが描きたかった『桐島』を演じたということですね」
リアルな演技にこだわり、時として演出家と対立。「面倒くさい俳優」と言われた時期もあったが、今回は足立監督のバイタリティーに圧倒された。
「これだけの題材なのに、(青年時代を演じた杉田)雷麟クンのパートを合わせて撮影は10日間ですからね。無理だと思えることをあの年齢(85歳)でやりきってしまう足立さんは、僕なんかが思う当たり前を大きく超えている。手のひらに乗って一生懸命駆けずり回った感じですね」
劇中の桐島は、現実と幻想の間を行き来する。自死したり、獄中でも意志を貫く仲間たちのことを思い、逃げ続ける自分に「逃走こそ闘争」と言い聞かせる。
桐島は、被害者を最小限に止めるという組織当初の原則に忠実で、実は死傷者を出した事件には直接関わっていない。古舘は劇中でその複雑な胸中を表情ににじませている。
「最期の時を前に病床で寝ているシーンだけはリアルなはずなのに、瀕死(ひんし)の状態で起き上がったりしますから。僕の中ではあそこは起き上がるはずがないと思っていたし、現場でもそう言ったんです。対立したとしたら、唯一あそこかな。でも、足立さんは他の選択肢はない! と。最後まで闘い続けた男を描きたかったんですね。リアリズムにうるさい僕ですが、そんな凡人の考えは一蹴されました」
現場を振り返りながら、笑みがこぼれる。クセのある役で今でこそ出演依頼は絶えないが、不遇時代も長かった。その頃も含め、すべてを楽しんできたように語る。
高校時代にダンスに興味を持ち、劇団に所属しながら「NHK紅白歌合戦」や「ザ・ベストテン」にバックダンサーとして出演したこともある。
「当時は一生懸命ダンスを踊っていたので、何というのかな、『紅白』でも楽しくやってましたね」
やがて、そんなダンサーとして活動に限界を感じ、23歳で渡米する。ニューヨークで俳優学校に通っていた27歳の時、交通事故に遭い、生死をさまよった。
「目が覚めたら病院で、10日間ベッドに固定されました。退院するときに視界に入ってきた景色の美しさに身動きがとれなくなった。残りはおまけの人生、好きなことをやっていこうと思いました。言いたいことを言ってきた僕の生き方に大きな影響があったことはたしかですね」
帰国後はバイトをしながら小劇場のオーディションを受け続けた。
「そうやって人脈を広げるうちに(CMディレクター、舞台演出家の)山内ケンジさんとの出会いもあったんです」
山内氏が手がけた英会話教室「NOVA」のCM出演で一躍世間に顔を知られるようになったのは07年、39歳の時だった。
「すごくお金をかけてましたね。駅前のでっかいポスターに僕の顔が出ていたり……バラエティーにも呼ばれて、明かりが見えた気がしました。まとまったお金もいただけたので、ようやく安いアパートから引っ越せました」
4年前のNHKテレビ小説「舞いあがれ!」で演じたまっすぐなベテラン職人は、クセの強い役の中で異色に映った。
「ひげをたくわえて仕事をもらえるようになった人間なんで、だいたい普通じゃない役が多い。なかなか剃る機会もなかったんですけど。普通のお父さんもけっこうやってるんですよ」
多忙な今とこれからは?
「休みの日も家事やって(台)本読んでいると、だいたい終わっちゃいますね。セリフがすんなり入る方じゃないんで、本読むんです。劇団やってたころには、演出の仕事が増えてきて、まだ俳優をやれてなかったので、もう演出はやめたとなったんですけど。20年くらいたって、また演出がやりたくなりましたね。映像もやりたいな、と。『逆転のトライアングル』のリューベン・オストルンド監督(スウェーデン)みたいな、人間の情けなさをひんむくような作品が撮りたいです」
【相原斎】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「映画な生活」)