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ダウンタウン浜田雅功、伝説のブレーク番組「4時ですよ~だ」語る 「まるっきり変わった」


ダウンタウンの浜田雅功が、MBSラジオ「ごぶごぶラジオ」で、自身のキャリア最大の転機について語った。浜田は1987年に放送が始まったMBSテレビ「4時ですよ~だ」に初めてレギュラー出演した時を「最高の瞬間」として振り返った。それまでテレビではちょこちょこ出ていたものの、この番組を機に一気に知名度が上がり、ストリートで熱狂的にファンに囲まれるようになったと述べる。「4時ですよ~だ」の成功を受け、大阪で歩けないほどの人気を実感したという。この番組での経験を経て、彼のキャリアは大きく前進した。

ダウンタウン浜田雅功(2023年撮影)

ダウンタウン浜田雅功(61)が、6日深夜放送のMBSラジオ「ごぶごぶラジオ」(金曜深夜0時30分)に出演。駆け出し時代、MBSテレビ「4時ですよ~だ」出演を機に、環境が一変した当時を振り返った。

番組では、リスナーから「人生最高の時はいつだった?」との質問が寄せられ、ライセンス井本貴史(46)が「これは、オヤジ(浜田)のを聞いてみたいと思ってたんですよ。ずっと最高じゃないですか」と乗っかった。

井本が「明確に『ここが最高』ってあります?」と聞くと、浜田は「でも、やっぱり、この世界入った時の、一番最初のレギュラーで。夕方番組やったぐらいの時のその世間の盛り上がって…。外出たらなんかウワ~っとなった時が『売れてる』って思ったんちゃうかな、初めて。『4時』ん時な」と、伝説の番組へ言い及んだ。

浜田は松本人志と82年にコンビ結成。NSC(吉本総合芸能学院)1期生で、同番組は87年に始まった。平日夕方に放送された帯番組だった。心斎橋筋2丁目劇場などに、ファンが群がるようになった。

浜田が「そっからもう劇場行ったって、人いっぱい来るし」と言い、井本は「外出ても『うわっ、ダウンタウンや』ってなった?」と確認。浜田は「そうそう。『4時』からやったからね。それまでは別にミナミ、普通に歩けてるわけやし」と思い起こした。

それ以前にもテレビには出演していたものの、浜田は「いや、ちょこちょこやから、別にそんな」感覚だったものの、同番組以降は「いや、もうもう、まるっきり変わった」と言う。

「生放送やったからね。まあ(放送スタートの)1回目、2回目とかは、そうでもないかもわからん。1週間やってみてからなのか、1カ月後くらいなのか? 完全に変わったね」

自身らを取り巻く環境が激変したといい「そんときちゃう? それが一番最初ちゃうかな」。井本から「ホンマに『これは売れたかもしれん』って思いました?」と問われ、浜田が続けて答えた。

「そんころ、東京でどうなのか、まったく考えてないから。『大阪の人はみんな分かってくれてんのかなあ』ってぐらいのことやけど」

懐かしむように振り返り「そうやね。『4時』が、でかかったかもわかれへんね」と語った。

町を歩けば、女子高生を中心に大勢に囲まれる状況になり、井本は「当時、大阪で街、歩けんようなったってことですもんね」と再確認。浜田は「まあまあ、ある意味そうですよ。ありがたい話、すごかったですね」と述懐していた。

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