タレント宮川大輔(52)が、9日深夜放送のMBSテレビ「かまいたちの知らんけど」(土曜深夜0時28分=関西ローカル)に出演。駆け出し時代の衝撃の月収を明かした。
かまいたちの濱家隆一(41)山内健司(43)がゲストを招き、ロケやトークを展開する同番組。濱家、山内が若手時代、宮川の山内イジりにキレた濱家が失礼な態度をとった話から、宮川の若手時代に話題が及んだ。
宮川は、91年3月、NSC(吉本総合芸能学院)同期の星田英利(旧ほっしゃん。)とコンビ「チュパチャップス」を結成。ナインティナインらと「吉本印天然素材(天素)」のメンバーに入り、いきなりブレークした。
「(ダウンタウンの)松本(人志)さんらが、『なんやあいつら踊って。笑いもできへんのに』って言ってるとか聞いて」
当時、大阪にはダウンタウンらを輩出した「心斎橋筋2丁目劇場」、東京には極楽とんぼらが活躍した「銀座7丁目劇場」があり、宮川は「派閥だらけやった」と振り返った。
「銀座は、松本さんにかわいがられてる後輩が出てて、後輩がめちゃくちゃ言うてた。『昨日、松本さんが言うてたんやけどな』とか、『明日なんの仕事や? なんや、チュパチャップスか』とか、悪口、隙間から入ってくる。後で聞いたら、松本さん、そんなこと言ってなかったんやけど」
それでも宮川は「当時、自信なかってん」と耐えていたが、ある時、星田がパイプ椅子を手に“反撃”に出ようとしたが「ほっしゃんの体、震えてて。あかん、やめよって」と踏みとどまったという。
当時、天素は大阪ではあまり仕事がなく、週のうち4日ほど東京にいたという。宮川は「2年目、3年目で、19歳、20歳とかの時、月給100万円ぐらいあった」と告白。
「たまに(地元へ)帰って、友達とか『ご飯いこか』ってなったら、かに道楽とか行ってた。最悪やった。なんか見せたかったのもあるし、その辺の金銭感覚もまひしてた」と反省の思いを口にしていた。