<ニュースの教科書>
歴史ものの映画やドラマなどで、「時代考証」「風俗考証」「美術考証」「衣装考証」などのクレジットをよく見る。映像に登場するさまざまなものが、設定された時代にふさわしいかを調べることだ。これらの考証は、作品の出来にも影響する。エミー賞18冠の米ドラマ「SHOGUN 将軍」は各考証が高く評価された。大ヒットしたNHK連続テレビ小説「虎に翼」で、「制服考証」を担当した日大商学部教授の刑部芳則教授(47)に、考証の具体例などを聞いた。【笹森文彦】
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★日本近現代史専攻
「虎に翼」のオープニング。米津玄師の主題歌「さよーならまたいつか!」に合わせ、イラストと実写のヒロイン寅子が踊るシーンを覚えているだろう。着ているのは、黒地に白い刺しゅうが胸にある弁護士の法服である。
法服とは判事(裁判官)、検事、弁護士が法廷内で着る制服のこと。明治時代に法律で定められた。
色や刺しゅうも規定された。黒地は共通だが、唐草模様の刺しゅうは判事が紫、検事は赤、弁護士は白。判事と検事の刺しゅうには「五七の桐紋」があり、弁護士にはない。五七の桐紋は国家の象徴であり、今で言う国家公務員の判事と検事、民間人の弁護士が区別されていた。
「虎に翼」で使用された法服は、「制服考証」を担当した刑部教授の尽力が大きい。専攻は日本近現代史で、日本の服制(礼服など服装の規定・制度)や、洋装の歴史など多数の著書がある。また昭和歌謡史も研究し、同じくNHK連続テレビ小説のヒット作「エール」「ブギウギ」では、「風俗考証」を担当した。
刑部教授 前作の「ブギウギ」の風俗考証をやっていた時に、NHKから「戦前の法服の実物を貸してくれるところはないか」の質問が来ました。専門ですので「弁護士と検事であれば持っていますよ」とお答えしました。「ぜひ!」ということでNHKにお持ちしたら、法服全体をコピーし、忠実に再現して衣装を作ったんです。
判事は格によって五七の桐紋の数が違うことや、廷丁(ていてい=現在の裁判所事務官)の制服や帽章などについてもアドバイスした。戦前の法服は空襲などで多くが焼失。戦後の法律改正で、法服(黒)を着るのは裁判官と書記官だけとなり、戦前の法服を探し出すのは至難の業だった。
刑部教授 (法服は)自分の研究に、そして後世に残すために集めていました。今回、忠実に再現されたことで、今後の作品のためにも、レプリカをいい形で残すことができたのは良かったと思います。
刑部教授が初めて考証を担当したのは、NHK大河ドラマ「西郷どん」だった。著書「洋服・散髪・脱刀 服制の明治維新」(講談社選書メチエ)が、NHK関係者の目に留まり、「軍装・洋装考証」の担当として白羽の矢が立った。
明治天皇の西国巡行の放送回で、明治天皇が着ていた菊の紋章の制服をCGでよみがえらせた。また最終回では、第1回内国勧業博覧会で演奏した陸軍軍楽隊の軍服を、当時の資料を探し出して復元できた。
刑部教授 明治天皇が着ていた実物があっても、借りられるわけがなく、いかに本物に近づけられるか考えました。当時の軍楽隊の軍服は、ドラマで初めて復元されたんじゃないかな。こだわったところです。
★齟齬は承知で見て
「風俗考証」を担当した「エール」でも、こだわりの考証があった。昭和初期の縁日のシーンで、制作サイドから「金魚すくいのポイの外枠は何でできていたか」の質問が来た。ポイとは丸い外枠に薄紙をはって金魚をすくう遊具のこと。
刑部教授 当時、プラスチックなんてないわけですから。調べるのに骨が折れました。当時は針金だったんですね。映像に出たかどうか分からないぐらいなのに、(制作サイドの)すごいこだわりですよね。
「ブギウギ」では、戦時中に庶民が胸に付けた「身許票」を外した。同票は住所、氏名、生年月日、血液型などを記した名札のような布。空襲での死傷を想定し、1944年(昭19)に付着が義務づけられた。
刑部教授 それまでどの作品を見ても、胸に付いているのが多かった。でも実際は正面には付けない。内側に付けるんです。昔の人が正面にして、ずっと来ちゃったんでしょうね。
確かに44年の通達で「男子 国民服ノ場合 左前ノ裏」「女子 モンペ服ノ場合 右前の裏」と定められていた。少しでも焼失を免れるためだったようだ。
直近では、9月21日に放送されたテレビ朝日開局65周年記念作品「終りに見た街」で、「風俗考証」を担当した。戦争中、神社で先生が子どもに歌を教えるシーンがあった。原作では、教える歌は「若鷲の歌」(作詞・西條八十、作曲・古関裕而)だった。
刑部教授 この歌は映画「決戦の大空へ」の主題歌で、子どもでも歌えるほど大ヒットした。学校の先生が教える場面の曲としては向いていない。「勝利の日まで」(作詞・サトウ・ハチロー、作曲・古賀政男)を提案し、この曲になりました。
考証の担当者には、制作者側からひっきりなしに質問や問い合わせが来る。
刑部教授 やりがいはあります。考証は、フィクションと現実的な歴史をつなぐのが大きな役割でしょう。ただ「史実と違う」と批判される人がいます。フィクションですので、齟齬(そご)が出てくるのは仕方ないこと。それを承知の上で見てほしいと思います。
■昭和歌謡も深い造詣 著作を発表、中古レコード6000枚
刑部教授は昭和歌謡にも造詣が深い。日本近現代史が専門で、昭和歌謡史も研究課題の1つに据えた。著書には「エール」のモデルの「古関裕而-流行作曲家と激動の昭和」(19年、中公新書)もある。
最近、新著「昭和歌謡史 古賀政男、東海林太郎から美空ひばり、中森明菜まで」(中公新書)を発表した。戦争と高度経済成長の昭和という時代に、歌謡曲がいかに確立したかを、膨大な史料を基に実証的に考察。「昭和の前半は西條八十と古賀政男、後半は阿久悠と筒美京平」など、独自の視点で分析している。
中学で昭和に興味を持った。「私はギリギリ昭和世代。平成となり、昭和のものがどんどんなくなった。私は終わりつつある歌謡曲を調べてみたいと思った。歌謡曲をいいと思った昭和初期の若者の価値観が分かるなら、研究者に向いているんじゃないかと思った」。収集した中古レコードは6000枚以上という。
「エール」で古関氏、「ブギウギ」では服部良一氏の考証に携わった。あとは古賀政男氏で、昭和の3大作曲家を制覇する。「ぜひ古賀さんの考証をやってみたい。そうすれば3冠王ですよ」と笑った。
◆考証(こうしょう) 文献資料や物品などを調べ、それを根拠として過去の事実関係を明らかにしていくこと。テレビや映画でよく耳にする「時代考証」は、創作物のストーリーや登場するさまざまな要素が、設定された時代の史実と整合性が取れているかを考証する。服装、建物、言葉、軍事など専門性が必要な部分に関しては「衣装考証」「建築考証」「風俗考証」などに分けられる。これらを総称として「考証」「監修」と呼ぶ。
考証の専門家(主に大学教授)、脚本家、演出家らが定期的に考証会議を行い、脚本などの確認、修正などを行う。考証担当は歴史的、学術的な事実を指摘するだけでなく、映画やドラマの娯楽性を尊重し、いかに創作と史実を調和させるかも重要な役割である。
◆刑部芳則(おさかべ・よしのり) 1977年(昭52)、東京生まれ。中央大学大学院博士後期課程修了。博士(史学)。現在、日本大学商学部教授。東海林太郎音楽館学術顧問。著書は「明治国家の制服と華族」(12年、吉川弘文館)「帝国日本の大礼服」(16年、法政大学出版局)「公家たちの幕末維新」(18年、中公新書)「セーラー服の誕生」(21年、法政大学出版局)「洋装の日本史」(22年、集英社インターナショナル新書)など多数。
◆笹森文彦(ささもり・ふみひこ) 札幌市生まれ。83年入社。長く文化社会部。刑部教授は講演やメディアに出る際、略礼服に白いちょうネクタイで臨む。背広は普段着なので、公私の区別をつけるためという。さすが服制の専門家だ。