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結成50周年紙ふうせん 後藤悦治郎「プロポーズは2回目でOK『人生全て五分五分に』」/連載4


笑顔で写真に納まる夫婦デュオ「紙ふうせん」の後藤悦治郎(左)と平山泰代(撮影・江口和貴)

「冬が来る前に」などで知られる美しい歌声の夫婦フォークデュオ、紙ふうせんが11月8日に東京・南青山マンダラで、デビュー50周年記念ライブ「紙ふうせん in MANDALA~懐かしい未来~」を開催する。結婚50周年、金婚式を迎えた後藤悦治郎(78)と平山泰代(77)に、その軌跡を聞いた。【小谷野俊哉】

 ◇◇  ◇◇

1971年(昭46)に「竹田の子守唄」「翼をください」がヒットした、男女5人組フォークグループ「赤い鳥」は74年8月いっぱいで解散する。その直前、74年5月に2人は結婚していた。そしてフォークデュオ「紙ふうせん」が誕生する。「赤い鳥」時代に「紙風船」という曲をリリースしていた。

平山「詩人の黒田三郎さんが詩集に載せてらっしゃったのを悦治郎さん(後藤)が見て、黒田さんに電話したわけですよ。『作曲したけど、いいですか』と。承諾を得ないといけないのでね」

後藤「電話したけど、見事に『ダメです』って言われました。黒田さんは、もう怒ってました。赤い鳥か、なんか知らないけれど、そんなのダメです。確かね『コマーシャルなグループ』って言いましたよ。そういうのに使ってもらっては困ると。でも、これはもう歌にして、お客さまもものすごく喜んでますから、歌い続けていきたいって言って粘ったんですよ。そしたら奥さんが途中で代わって『すいません、主人頑固者でしょう。どうぞ使ってやってください』って。奥さんは『赤い鳥』、知ってはったのかも。すんごい人なんですよ。あれで救われたんです」。

「赤い鳥」を解散して、夫婦2人でデュオとしてスタートする時に、風船を平仮名にして「紙ふうせん」。それから50年、結婚生活も金婚式を迎えた。

後藤「彼女は何でもやってしまうタイプやからね、スッスッと。僕は1回目のプロポーズは蹴られたけど、2回目のプロポーズの時に『これからの人生、二人全て五分五分にできへんかい』っていう。それが2回目のプロポーズなんですよ。それはもう経済的なことから、精神的なことから全て五分五分で、お互いが分かち合いましょうという。それで、すぐ返事くれたんです。その当時はまだ、結婚したら夫に従うみたいな時代。だから、うちのおやじにその報告に行った時に『そうか、泰代さん(平山)、家庭に入ってくれるのか』と。もう即、そういう考えなんですよ。明治生まれの男は」

平山「それ覚えてるわ。今は音楽をやってても、普通に働いてても、仕事を続けるのが普通みたいな時代になってるけどね。私は姉と2人姉妹なんですけど、母親がいつも『やっぱり、これからの女性は仕事、何か自分に合った仕事を見つけないといけませんよ』と言われて。そのために2人は大学に進みなさいって言われてたので、姉は小学校の教師になりました。私は歌の世界に入ったんですけれども、母親のそういう教育方針みたいなものも影響してたと思います」

(続く)

◆紙(かみ)ふうせん 後藤悦治郎(ごとう・えつじろう)は1946年(昭21)4月29日、兵庫県尼崎市生まれ。京都外大卒。平山泰代(ひらやま・やすよ)は47年3月28日、広島市生まれ。武庫川女大卒。兵庫県立尼崎北高の同級生。69年に5人組フォークグループ、赤い鳥を結成。71年に「竹田の子守唄」「翼をください」がヒット。74年5月に結婚。同年9月の解散後、2人で「紙ふうせん」結成。77年11月リリースの「冬が来る前に」がミリオンヒット。

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