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フォークデュオ「紙ふうせん」が南青山マンダラで結成50ライブ「素の僕らを聞いて」/連載1


笑顔で写真に納まる夫婦デュオ「紙ふうせん」の後藤悦治郎(左)と平山泰代(撮影・江口和貴)

「冬が来る前に」などで知られる美しい歌声の夫婦フォークデュオ、紙ふうせんが11月8日に東京・南青山マンダラで、デビュー50周年記念ライブ「紙ふうせん in MANDALA~懐かしい未来~」を開催する。結婚50周年、金婚式を迎えた後藤悦治郎(78)と平山泰代(77)に、その軌跡を聞いた。【小谷野俊哉】

◇◇  ◇◇

「竹田の子守唄」「翼をください」などをヒットさせた5人組フォークグループ、赤い鳥を解散。2人で紙ふうせんを結成して50年がたつ。

後藤「赤い鳥からだと、もう55年くらいになる。ライブでは、素の僕らを出して、聞いてもらいたい」

澄み切った美しい歌声を奏で続けて半世紀以上。それとは裏腹にトークは爆笑、夫婦漫才のようだ。

後藤「関西人やから、しゃあないんとちゃうかなあ。だって、昔は漫才の宮川大助・花子が“吉本の紙ふうせん”とか言われてたんだから(笑い)。それとね、彼女(平山)は形を作ろうとするんですよ」

平山「私はね、ちゃんとしたものをね」

後藤「僕はね、それを壊そうとするタイプなんですよ。ちゃんとしたものというのは、核心をね、隠したままにする恐れがある。そういうものが意外に多いから、大事なものを引っ張り出してきて、見せたいのが僕のタイプなんですよ。青青山では、狭いところで、それができたらなと思っている」

南青山マンダラの客数は150人ほど。客席から手が届きそうなほど近い距離で歌う。

後藤「大きいホールだったらね、舞台監督から照明家から音響家から、すべてが計算された間尺の中でやるじゃないですか。この南青山は、それをやめて、僕たちの素がそのまま出るようなものにしたい。歌の内容は変わらないんだけどね。お客さんとの距離も近いし、全てが対話できるような環境でやりたいなということで。曲数は多分17、18曲になると思いますね」

50年がすぎ、年を取った。だが、歌声は変わらない。

後藤「歌ってるとね。健康だし、体にいいですからね。歌ったり後は、明らかに体の調子がいい(笑い)」

兵庫県立尼崎北高校の同級生。高校時代は、あまり接点はなかった。

後藤「僕は付き合いたかったけど、彼女は人気もんやったからね。周りの男性はみんな狙ってましたから(笑い)」

平山「私は小学校5年生、10歳くらいから女の子だけの子供コーラスに高校1年生ぐらいまで所属してました」

後藤「僕は普通の人で、バンドを始めたのは大学に入ってからですから。高校時代はレコード聴いて、男友達ばっかり集めてトイレ掃除しながらピーター・ポール&マリー(PPM)を男3人で裏声使ったりしながら、完全コピーを目指してました。楽器はできなかったんですけどね。クラブ活動がESSの部長だったんで、発音も奇麗にしてね」

平山「私はコーラス部でした」

(続く)

◆紙(かみ)ふうせん 後藤悦治郎(ごとう・えつじろう)は1946年(昭21)4月29日、兵庫県尼崎市生まれ。京都外大卒。平山泰代(ひらやま・やすよ)は47年3月28日、広島市生まれ。武庫川女大卒。兵庫県立尼崎北高の同級生。69年に5人組フォークグループ、赤い鳥を結成。71年に「竹田の子守唄」「翼をください」がヒット。74年5月に結婚。同年9月の解散後、2人で「紙ふうせん」結成。77年11月リリースの「冬が来る前に」がミリオンヒット。

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