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敏いとうさん死去84歳「ムード歌謡の帝王」腕っ節強くフランク・シナトラのボディーガード役も


敏いとうさん(10年6月撮影)

「敏いとうとハッピー&ブルー」のリーダーとして活躍した敏(とし)いとうさん(本名伊藤敏=いとう・さとし)が10日に死去したことが14日、分かった。84歳。熊本県出身。

関係者によると死因は前立腺がんだという。葬儀・告別式は親族で行う。

青学大経済学部、日大農獣医学部卒業。獣医師として作曲家遠藤実氏の愛犬を診察したのがきっかけで芸能界入り。芸名は本名の伊藤敏を逆さまにした。

69年4月に「敏いとうとブルー・キャンドル」名義で、「誘惑」でレコードデビュー。71年に「敏いとうとハッピー&ブルー」を結成してリーダーに就任した。74年に切ない女心を歌った「わたし祈ってます」の大ヒットを皮切りに「星降る街角」(77年)、「よせばいいのに」(79年)などのミリオンセラーを世に送りだした。「ムード歌謡の帝王」とも呼ばれた。

所属事務所との金銭トラブルで失踪騒動を起こし、91年から一時休業するが96年に再結成。2000年に発表した「HAWAII CALLS」ではハワイアンにも挑戦。21年には宍戸マサルを中心に、令和のムード歌謡をけん引するグループ「新☆(SHINSEI)敏いとうとハッピー&ブルー」の最高顧問に就任した。

腕っ節が強く、来日するフランク・シナトラのボディーガード役を買って出たというエピソードを持つ。また、政治への関心が高く、10年には国民新党から参議院選挙に比例区で出馬したが落選した。

14年に心筋梗塞で手術。19年ごろに腎臓がんで腎臓を1個摘出し、前立腺がんも見つかった。22年12月に脳梗塞と診断されて入院し23年5月に退院。「要介護5」になったが施設には入らず、最近まで子どもらが1人暮らしの敏さん宅に通って自宅介護をしていた。

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