日本映画界屈指の鬼才・石井裕也監督(『月』、『舟を編む』)の最新作『本心』が11月8日(金)に全国公開となります。原作は、「ある男」で知られる平野啓一郎の傑作長編小説「本心」。キャストには、池松壮亮を主演に迎え、三吉彩花、水上恒司、仲野太賀、田中泯、綾野剛、妻夫木聡、田中裕子ら、映画界を牽引する豪華実力派俳優陣が集結しています。
物語の始まりは2025年。主人公・朔也(池松壮亮)の母・秋子(田中裕子)が、ある日突然「大事な話があるの」と言い残し急逝してしまう。生前母が “自由死”を選んでいたことを知った朔也は、彼女の“本心”を探るため、彼女の情報をAIに集約させ人格を形成するVF(ヴァーチャル・フィギュア)として仮想空間に母を“蘇らせる”が…。石井監督に本作へのこだわりなどお話を伺いました。
――本作拝見させていただきまして、本当に素晴らしい映画をありがとうございます。映画化をしようと決断されたきっかけを教えてください。また、監督が原作の中で一番惹かれた部分はどこでしょうか?
今やるべき物語だと思いました。直感的にそう思えるものは、実はそんなに多くないんです。でもこれには突き動かされるような感覚がありました。この時代にやるべき最大のテーマを扱っていますから。
原作には「いずれ必ずこうなるだろうな」という社会が描かれていて、かつそこで葛藤しながら、苦しみながら生きている石川朔也(演・池松壮亮)という主人公に、ものすごく親近感を抱いたんです。自分もいずれそこにいくし、そこできっと苦しむんだろうなという確信に近い想像ができました。
――本作は脚本も監督が手がけられていますが、映像化する上で原作から変えられた部分、また工夫した部分はどんなところでしょうか?
一番大きいのは、原作では2040年代だった話を、2025年付近というかなり現代にひきつけて構築し直したというところです。
コロナ禍で映画というものが大打撃を受けました。映画館の休業要請も出ていて、「エンターテインメントは不要不急のものだ」と断定された。それと、個人的なことですが、『月』(2023年公開)という映画で、知的障がい者の人たちが“社会には不要”というある人物の主張によって排除されていく、ということを描きました。この2つが自分の中で大きかったんです。つまり、どのような人であれ、自分も含めていつ社会から排除される側に回るか分からない、と強く思うんです。あなたは不要な存在ですと突然言われかねない。これからやってくる時代は、さらにその色彩を強めていくだろうと思います。小説『本心』にはまさにそのようなことが書かれていますが、よくよく考えてみればそういう世界はもう既に始まっているわけです。小説で描かれている社会は、予想以上に早くやって来るはずです。この数年でAIやテクノロジーの劇的な進歩もありましたし、もっと今現在に引きつけて映画の世界を構築し直せないかと思いました。
――バーチャルが発展していく世界の中でも風鈴の音色が美しかったり、お母さんがレコードを使っていたり、アナログな部分の美しさを作中に感じました。そういった映像面での表現のこだわりがあれば教えてください。
できる限りアナログな手法を使うことで、人の心の動きにフォーカスしたいと思いました。仮想空間上にAIテクノロジーを使ったVF(ヴァーチャル・フィギュア)というものを作り出すわけですが、どちらかというと幻影を見ているというか、禅のように自分の心に向き合っている、というか…そういったイメージで今回描いてみようと思いました。その方が、朔也の主観表現としてしっくりくると思ったんです。VFというのは、あくまでも主観なんですよね。客観的に捉えることはできない。それは幻に近いんだと思うんです。その人のことを知っているからこそ、そのVFに心があるように見えてくるわけです。きわめて個人的な体験だと言えると思います。
――朔也と彩花の視線がすれ違うシーンやダンスするシーンにすごく引き込まれました。原作から映像化する上で、キャラクターへの肉付けをどの様にしていったか、特に池松さんと三吉さんへの演技指示はどの様に行ったのかを教えていただきたいです。池松さんと三吉さんだったからこそ役柄が育っていった部分はありましたか。
「本心」をテーマにしているからこそ、人間の身体、その表現にはこだわってほしいと伝えました。基本的に身体とは嘘をつけないものですから。また、俳優が演じているのでそこには芝居という“嘘”があります。ある意味では芝居という“真実”でもあると思うんですが。この2つに関しては、意識的にやりました。小説の表現で言うと、例えば“あなたを愛していない”と“嘘をついた”と書かないとわからないと思うんですが、人間は日常的に嘘もつくし芝居もする。それを、映画では視覚的に、直接的に見せることができる。『本心』という映画ではそれをプラスの要素と捉えながら作っていきました。
本心、本音、つまり本当の感情を言語化するのではなく、身体を通して表現することを心がけました。
――仲野太賀さん演じるイフィーのパートからサスペンス感が加速していくと感じました。
原作では、イフィーの過去や背景がもっと仔細に描かれていますが、彼がアンビバレントな気分を常に抱えている理由を映画ではじっくり描写できません。イフィーの複雑性と彼が抱えている底なしの虚無感、心の荒みを一発で表現できる最高の俳優がどうしても必要でした。(仲野)太賀さんしか思いつかなかったですね。
――水上恒司さん演じる岸谷の役柄は現在の若者の闇を体現しているとも感じました。とても難しいキャラクターですよね。
硬式野球を本気でやっていたということもあるかもしれないですが、本当に一本筋の通った好青年です。好青年であるがゆえの人たらしですね。おそらく水上君のことを誰もが好きになるんじゃないかなと思うんです。最初会って彼の目を見たときに、あの人たらしな好青年の笑顔で、人を地獄まで一気に引きずりおろせるなと思ったんですよね。水上君には、まるでファム・ファタールのような、全く悪意はないんだけれども朔也の足を引っ張り続けてしまうような純粋な青年を演じてほしい、という言い方をしました。
――「本心」って本当に難しいし深い言葉だな…と本作を観て、改めて思いました。監督は本作を制作している時に、迷ったり困ったりすることはありませんでしたか。
人の記憶というのは客観的事実ではなく、それどころか日々改訂作業を繰り返しているものです。そうやって人は記憶を自身に都合のいいものに改訂して、今日や明日を生きていていくための糧にしています。否定的に言いたいのではなく、これが人間なんです。記憶を改訂していかなければ、現実が辛すぎて人は多分生きていけません。しかし、優秀なAIを搭載したVFにはそれが通用しないのではないかと思いました。VFに「あなた、その記憶は間違いですよ」と言われてしまったとき、どうしよう…と思いました。
確かに事実とは違うかもしれないけど、記憶の改訂作業の中で得られた感情や愛情を基に人は生きていますから、それが根本的に崩されると生きる道標がなくなるだろうなと。そういう意味で、妻夫木さん演じる野崎は劇中で「本物以上のお母様が作れます」と言ったんです。人間的な不完全性を無視して、AIの方が賢いし、客観的事実として正しい、と。そう言われればそうだけども、それが大手を振って正義だとされると、人間の立場はいよいよなくなっていくと思います。そのせめぎ合いについて、かなり考えました。結局行き着いた答えとしては、人間の不完全性、或いは誤解、誤認、というものにこそ価値もあるし希望もあるんだろうな、と。全てが客観的事実に基づいて、人生や生き方を決められるのはたまったもんじゃないぞ、と思いましたね。
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