9月13日(金)より、映画『シサㇺ』(「ム」は小文字表記。以下同じ)が公開中だ。本作は、江戸時代前期に「蝦夷地」と呼ばれた現在の北海道を領有した松前藩がアイヌとの交易をおこなっていた史実を基に、町全体がイオル(アイヌの伝統的生活空間)という考えを持つ北海道白糠町で多くの場面を撮影。セット建設から撮影まで、町の全面支援・協力を得て製作されている。
松前藩の収奪に抵抗したアイヌによる大規模蜂起“シャクシャインの戦い”の史実を背景に、当時のアイヌ文化・歴史を劇映画として描写する本作は、なぜ生まれたのか。アイヌ民族の精神や理念に共鳴してゆく和人(アイヌ以外の日本人/シサム)の主人公・孝二郎を演じた主演・寛一郎と、企画・製作総指揮を担った嘉山健一氏(合同会社プロテカ代表)に話を聞いた。
――なぜ、アイヌの歴史・文化を題材にしようと思われたのでしょうか?
嘉山:そもそもは、ご縁があって白糠町にお邪魔させていただくことがあって、そこで町長の棚野孝夫さんとお会いしたことがきっかけです。町の色んな方に歓迎していただいたんですが、その中で磯部恵津子さん(白糠アイヌ文化保存会会長)と知り合いました。礒部さんには、アイヌの展示や伝承儀式を紹介する「ウレシパチセ」という文化施設に連れて行っていただいたんですが、当時のぼくはアイヌについて全くと言っていいほど知らなかったので、見ること聞くことすべてが新鮮で。同じ日本にアイヌという民族がいることに衝撃を受けたのと、彼・彼女らに「この世界のあらゆるものにカムイ(神)が宿っている」「必要以上に狩りを行わず、カムイに感謝する」といった考え方も教えていただいて、すべてに驚きがありました。
(左から、寛一郎、嘉山健一)
――意識しなければ、直接触れる機会は確かに少ないですね。
嘉山:北海道で生活している方を除けば、ぼくと同年代でアイヌについて学校で学ぶことも多くはないでしょう。ぼくと同じような方々に、映画で(アイヌの歴史と文化を)伝えたいと思ったのが始まりですね。
(左から、寛一郎、嘉山健一)
――なぜ映画だったのでしょうか? 嘉山さんは元漫画編集者で、現在も漫画家さんをはじめとしたクリエイターの法務コンサルティング会社の代表をされているんですよね。
嘉山:最初は、音楽フェスをやる案もありました。白糠町は自然が豊かで開けた場所にあるのと、ぼく自身も「いつか音楽フェスをやりたい」という願望をもっていたからです。漫画の仕事をしていたこともあり、「漫画で何かできないか」とも考えました。同じ北海道の『ゆうばり国際映画祭』にご縁があったので、漫画原作の映画祭を立ち上げるのも面白いんじゃないか、とか。どれも諸事情で実現が難しくなっていって、最終的には原作なしでオリジナルの映画を作ろう、ということになりました。
――紆余曲折あったんですね。寛一郎さんは、どのタイミングでこの作品に関わることになったのでしょう。脚本が完成してから?
寛一郎:ぼくは、脚本が出来上がってから参加しました。もともと、アイヌの文化には興味がありました。小学生の頃に学習塾の課外活動でアイヌの集落を訪れて、しばらく滞在していたことがあったんです。そういうこともあって、アイヌの存在自体は知ってはいましたが、約20年経って、この仕事を始めて、まさかアイヌの映画で主演のオファーが来るとは思ってはいなかったので……ぜひということでお受けました。
(寛一郎)
――映画ではあまり描かれてこなかった“シャクシャインの戦い”の直前が舞台ですね。なぜ、この時代を選ばれたのでしょうか?
嘉山:歴史を題材にすると、舞台を現代に近づければ近づけるほど、様々なテーマや角度からアイヌを描けると思います。ただ、もっと過去にさかのぼって、例えば500年前が舞台なら、ただ現代劇を時代劇にして、登場人物がアイヌであるだけの話になってしまう。そうじゃなくて、自分と同じように“まっさら”な状態でアイヌと和人の歴史について知ってもらいたかったんです。交易をしながら生活していた、アイヌの人間らしい姿を描けるのと、言葉や文化を伝えられて、それをエンタテインメントとして見せることができるのが、ちょうどこの時代だと思ったからです。
――寛一郎さん演じる主人公・孝二郎を、和人にした理由は?
嘉山:観る方の大半は和人だと思いますし、そもそもの目的も、和人の方に観ていただくことでした。主人公をアイヌにすると、和人の方は感情移入しにくいでしょうし、アイヌの方にとっても(歴史や文化は)当たり前に知っていることばかりですから。ぼくと同じような(和人の立場の)方に、何も知らない主人公を通じて、アイヌと出会い知っていくというプロセスを経験してもらいたかったんです。
――寛一郎さんがアイヌの役を演じる可能性もあったと思いますが。
寛一郎:ぼく自身はアイヌではないですし、歴史や文化についても、詳しくは知りませんでした。もちろん、現場に入る際に多少の勉強はしましたが、「自分自身も知らなかったことが、真っ白なキャンバスに色として入っていく」という意味で、アイヌではなく、和人を演じられたことが良かったと思っています。
――白糠町では、撮影以外に何をされていたのでしょうか?
寛一郎:1ヶ月の間、白糠町のみなさんと毎晩のように飲みに行っていました(笑)。そんなにお店は多くないので、何軒かのお店で毎日宴を開いていましたよね。
――飲み会以外の時間に、アイヌの文化や歴史を学んだ?
嘉山:アイヌの文化や歴史については、監修の藤村久和先生(北日本文化研究所代表)に教えていただきました。寛一郎さんも、演じられた役はアイヌではないですが、先生に教えてもらって、リハーサルをしたり……滞在中は、藤村先生がほぼ現場にもいらっしゃって、ご指導いただきました。
――藤村先生も飲み会にも来られたんですか?
嘉山:いや、飲み会にはいらっしゃってないです。でも、お酒の差し入れをしたので、先生やアシスタントの皆さんは、個別で飲まれていたと思います(笑)。
――寛一郎さんが演じられた孝二郎も、徐々にアイヌ語を覚えて、少しだけですが話すようになります。アイヌ語を学んでみて、いかがでしたか?
(寛一郎)
寛一郎:面白いですよ。というのも、誰も“正解”がわからない言葉なんですよね。藤村先生によると、今はアイヌ語で話せる、会話できる人はほとんどいないそうで、アイヌの方ですら多くないと。
嘉山:藤村先生が、アイヌの方を対象にアイヌ語教室を開いているような状況なんですよね。
――セリフに感情を載せて、どこに抑揚をつけるのかなど、難しかったのではないかと思います。
嘉山:藤村先生は、アイヌ語のセリフをカタカナに翻訳してくださいました。リハーサルでも「日本語ならこう言うだろう」と、どう感情を込めるかも含めて指導していただいました。
寛一郎:カタカナに翻訳されると、みんな英語を意識するんですけど、実際には全くそうではないんですよね。“日本語の読み方”でカタカナが書かれているので、(アイヌ役のキャストは)すごく大変そうでしたね。
――当時のアイヌの住居や衣服が再現されていたのも印象的でした。
嘉山:チセ(アイヌの伝統的な住居)に関しては、当時の建築方法そのままで作ろうということで、藤村先生のご指導・ご協力のもと、再現しているんですけど……チセの一部が完成しないまま撮影することになってしまいました(笑)。
寛一郎:屋根にブルーシートをかぶせてるんですよね(笑)。
嘉山:(笑)。でも、その部分以外はある程度忠実に再現しています。
寛一郎:(孝二郎が松前藩で着ていた)着物は過去に時代劇で着たことがありますが、アットゥシ(木の繊維で織られたアイヌの着物)は、あの時代のものにしては動きやすい服装だと思いました。ムックリ(アイヌの口琴)も自分で吹いています。全然、上手く音を出せなかったですけど(笑)。
嘉山:セットも含めて、当時のアイヌの文化や生活をなるべく忠実に見せるということは、重視しました。
――孝二郎たちが巻き込まれた松前藩とアイヌの紛争は、現在の世界で起きていることにも通じますね。
寛一郎:大きい国が小さい国を搾取する、国土や言語を獲るということは、あの時代でも、今日でも、“戦争”においては不変なんだな、と思います。過去の歴史ではあるけれども、単なる過去で終わらせたくない……ということも含め、現在とマッチする部分があると思います。この映画が“知る”きっかけになってくれればいいな、と。アイヌの歴史は徐々に消えつつあるし、今も色んなところで価値観や歴史の衝突は起きていて、ぼくらは模索して、未来へ向けてそれらを解決していかなきゃいけない。その中で、大前提として“知る”ことが大事だと思います。この映画がきっかけになって、アイヌのことにも、今のことにも、興味を持ってもらえればうれしいですね。
(左から、寛一郎、嘉山健一)
インタビュー・文=藤本洋輔/撮影=オサダコウジ 【寛一郎】ヘアメイク:KENSHIN/スタイリスト:坂上真一 (白山事務所)
映画『シサㇺ』は公開中。
映画『シサㇺ』
監督:中尾浩之 脚本:尾崎将也
主題歌:中島みゆき「一期一会」(ヤマハミュージックコミュニケーションズ/ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス)
出演:寛一郎 / 三浦貴大 和田正人 坂東龍汰 平野貴大 サヘル・ローズ 藤本隆宏 古川琴音 山西惇 佐々木ゆか /
要潤 / 富田靖子 / 緒形直人
制作プロダクション:P.I.C.S. 配給:NAKACHIKA PICTURES
レーティング:PG12※シサムの「ム」は小文字表記
オフィシャルX:https://x.com/Sisam_movie
公式サイト:https://sisam-movie.jp/(C)映画「シサム」製作委員会
(執筆者: 藤本 洋輔)